
長編
市川一家四人殺人事件
匿名 4日前
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って「楽にさせてやれ」と言ったが、少女が動けずにいたので関が絞殺したという。
恐怖の頂点にいた少女は、わずか4つの妹を殺されて糸が切れたようになり、そのとき初めて関に歯向かった。
関は少女にも包丁をふるい、左腕と背中を切りつける。
しかし凶行はそこまでだった。通報によって警官が駆けつけたのだ。関は少女に包丁を持たせ、
「お前、これを俺に突きつけて脅してるふりをしろ」
と言った。しかし矢継ぎ早の不幸に身も心も疲弊しきっていた少女は、呆然として座り込んだまま動かない。
苛立って少女を怒鳴りつけた瞬間、雪崩れ込んだ警官隊に彼は捕縛された。
少女が14時間ぶりに保護され、毛布をかけられたその時も、傍らには少女の母、父、祖母、妹がものいわぬ死体となって転がっていた。
関光彦は1973年1月に生まれた。
祖父は戦後、一代で鰻屋チェーン店のオーナーとなった成功者であったが、その愛娘と駆け落ち同然に結婚した男は、絵に書いたようなろくでなしであった。
光彦が生まれたため祖父も二人の仲を許さざるを得なかったのだが、飲む・打つ・買うの悪癖を備えた男の所業のせいで結婚生活はじきに破綻した。光彦は幼い頃から、父に殴られ、蹴られる母の姿をみて育った。父は光彦をもしばしば折檻した。
折檻された光彦は家を飛び出し、そのたび祖父のもとへ逃げ込んだ。祖父は光彦には甘かったのである。
彼が9歳になったとき、家庭は決定的に崩壊した。父の借金が億を超えたのだった。この返済のため、祖父は血の滲むような思いをして一代で築き上げた資産のほとんどすべてを失わなければならなかった。
祖父もさすがにもう彼ら一家の面倒はみきれず、縁を切ると言い渡した。
両親は離婚し、頼みの祖父にも絶縁を宣告された光彦は、すべてに見放されたような気がしたという。
一転して極貧生活へ落ちた光彦は、転校先でもいじめられ、次第に鬱屈していった。
だが中学へ上がる頃には祖父の態度も軟化しており、ふたたび母親と祖父は親子関係を修復した。光彦は所属した少年野球のチームではエースの四番となり、恵まれた体格と腕力で他を圧倒した。しかし、一度ねじれた性質はもうもとへは戻らなかった。父親の性格を強く引き継いでいた、とも言えるだろう。
学校では真面目な生徒を演じていたが、放課後ともなれば窃盗と飲酒にふけり、母親と弟を殴った。
高校へは進学したものの、二年生の5月で
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- 怖いと言うか胸糞悪いもっちょちょ
- 地元だったので祖父のやってたウナギやさんも有名でしたね 本人には会った事ないし知りません 元々のヤンキーじゃなくて急にグレたみたいで本人の事は聞いた事ありません 急にグレてもこんなに残酷な事件をおこして家庭環境とかではなくて本人自身の性格でおこした事だと思います 死刑執行されて良かった もっと早く死刑にすれば良かったと思います じゃないと被害者の人が浮かばれないですねゆみりん
- DNAでしたまゆ
- やっぱ DNEは 怖いまゆ
- まったくもって同感。あ
- 同感です。vicky
- 同感です。miwa
- 同感(゜゜)(。。)ウンウン夢幻
- 結局は人間が1番怖い。 こんな奴でも生きる権利はある!と死刑制度を批判する人間の気が知れない。postmodern