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長編

お礼をしたいので

しもやん 2022年3月21日
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 つい昨日のことだ。ほんの顔見知り程度の女性から、2年ぶりに連絡をもらった。  わたしにお礼をしたいのだという。ぜひとも直接会って話がしたいという。  わたしはいま、スマートフォンを前にして返答に迷っている。      *     *     *  2年ほど前、例によってわたしは山へ入っていた。  歩きなれた鈴鹿山脈、季節は厳冬期であった。  その日は確か、焼尾尾根というバリエーションルートを始点に、焼尾山→鞍掛峠→鈴北岳→御池岳→カタクリ峠→木和田尾のループコースを歩いていたと思う。2月初旬だというのに雪はあまりなく、スノーシューの出番はほとんどなかった。  怠惰な登山者であるわたしはこの日も10時すぎに出発しており、下山コースである木和田尾に入ったころには17:00をすぎていた。日没を迎えていたのとおりからの悪天候で、山は厳しい寒さと真の闇に閉ざされていた。  ヘッドランプの明かりを頼りに吹雪のなか下っていく。確か道標のある、尾根が90度振っている地点だったと思う。わたしは思わず目をしばたいた。  若い女性がいた。下山の遅れた山ガールではなかった。ダークブラウンに染めたボブカットの、女子大生くらいの女性だ。妙なのはその格好だった。彼女は日没後の吹雪のなか、キャミソールにホットパンツという信じがたい軽装をしていた。靴はビーチで履くようなミュールで、足が真っ赤に霜焼けしている。  思わず驚きの声を漏らしてしまった。長らくナイトハイクをやってきたけれど、こんな経験は初めてだった。幽霊でないことだけは確かだった。存在感が圧倒的すぎる。なんにせよ、知らん顔して通り過ぎるわけにはいかなかった。 「これから登りですか」われながら間抜けな質問だったと思う。「もう遅いからよしたほうがいいですよ」  返答はなかった。いざるように霜焼けで痛々しい足を一歩、また一歩と進めている。ぶしつけだとは思いつつ、思い切ってヘッドランプで顔を照らしてみた。器量は整っていた。暖色系のアイシャドウを施しているのがやけに目立った。ただ唇は寒さのために菫色に変色しており、絶えず小刻みに震えていた。明らかに人間だった。  歩荷と称していつもテント泊装備で歩いていたのが功を奏した。寝泊まり用の寝間着を携帯していたので、ザックから引っ張り出して着るように促した。女子大生はかすかに首を横に振ると、また歩き出そうとする。わたしはこのころにはもう、彼女がなにをしにこんなところへこんな格好でやってきたのか察しがついていた。 「お姉さん、いくつ」 「21です」  わたしはこのとき34だった。冗談ではない。 「まだ早いよ。帰ろう」  無理やり寝間着を被らせた。靴を脱ぎ、靴下も脱いでこれも無理やり履かせた。わたしはミュールで十分だった。まだなお震えているので、ストーヴを取り出してコーヒーを沸かし、蜂蜜をくどくなるくらい垂らした。女子大生はなかなか受け取らなかったけれど、根負けしたのか息を吹きかけて冷ましながら飲み干した。  わたしたちは吹雪のなか、黙々と木和田尾を下った。彼女を先頭に立たせ、後ろから道を指示してやる。危なっかしい足取りだったけれど、振り返って登っていこうとはしなかった。下部の沢道になったあたりに達するころには慣れたもので、木に掴まりながら体勢を安定させて降りる技術をひとりでに習得するくらいになっていた。  19:00すぎ、ようやく林道終点の駐車場に着いた。  聞けばここまで最寄駅から歩いてきたのだという。少なくとも10キロメートルは先だった。わたしは彼女を助手席へ押し込むと、ヒーターを最大にし、なんとか住所を聞き出した。名古屋市だった。登山後の楽しみである温泉は諦めるしかなかった。  別れ際、ずっと黙っていた彼女のほうから連絡先を交換したいと言い出した。  正直なところ断りたかったけれど、乗りかかった船という言葉もある。いつでも連絡してきなさいと先輩風を吹かせたのを覚えている。個人の自殺ホットラインになるというのはゾッとしない。でも人助けをしたという心地よい疲労感はあった。  翌日にでも鬼のように連絡があるものと覚悟していたけれど、予想に反して彼女からの連絡はいっさいなかった。未遂の理由がなんだったのか結局知らずじまいだったが、大した理由ではなかったのだろう。夜間ハイクを懲りずにやったときにたまに思い出す程度で、それっきりすっかり忘れていた。      *     *     *  わたしはどうすべきなのだろう。  2年も前のことなのだから、会うのを断ったところで彼女がまたもや雪山へ突貫するとは思えない。でもなんとなく、要望に応えるのは義務のような気がしている。  それにしてもおかしいのは、会合の場所である。あのとき下山した木和田尾の登山口で合いたいのだという。3月になってようやく暖かくなってきたけれど、まだ鈴鹿山脈は雪に閉ざされているだろう。  来週あたり、会う約束をしようと思う。結果は気が向いたら載せるかもしれない。

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