
中編
ピーポー
らむね 2017年12月9日
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これは僕の娘と息子がまだ小さかった頃の話です。
当時、結婚四年目にさしかかった僕は、妻と、生まれて間もない娘との三人暮らしでした。
妻が第一子である娘を出産し、裕福ではありませんが三人で幸せいっぱいの日常を送っていました。
「マーマ、マーマ!パーパ、パーパ!」
そろそろ言葉を話し始めるようになった娘は、ママ、パパとおぼつかない口で僕たちを呼ぶようになりました。
子育てをしていれば当然やってくることなんだけど、
わかっていても親にとっては思い出深いことでもあります。
近所に住んでいる僕の母なんて、
「そろそろばーばも覚えようねー」
とか言って、毎日のように我が家に遊びに来ていました。
あの体験をしたのは丁度この頃。娘がいろいろな言葉を覚え始めたころです。
ある日のことです。
「パパー。ぴーぽー!ぴーぽー!」
洗面台にある鏡の方を指さしながら僕を呼ぶ娘。鏡のそばには、カレンダーがかかっています。
地域の青年消防団に所属している僕が、その消防団からもらってきた月めくりカレンダーです。
縦に見開きになっていて、下半分はその月のカレンダー、上半分はその月ごとの写真という、一般的にどこにでもあるようなレイアウトでした。今月(確か十二月でした)の写真は消防署の救急車の写真でした。
「そうだねー。ピーポーだねー」
先月の写真の「消防車」は娘にはまだ難しかったようですが、「ピーポー」はすぐに覚えられたようです。
大変気に入ったみたいでカレンダーの方を向いて何度も繰り返していました。
「ねえ、救急車のこと教えてくれたんだね。ありがとう。ピーポーピーポーって言って喜んでるよ。消防団に所属する身としては少し、嬉しいかも。」
と妻に言ったら、
「え? 私ピーポーなんて教えてないわよ? パパじゃなかったの? 最近ほんとに気に入ってよく言ってるから、てっきりパパが教えてあげたのかと思ってたんだけど…違うの?」
「まさか。ここ最近は仕事と消防団の見回り続きで、僕が返ってくる頃にはもうあの子は寝てるもの。」
十二月に入った今週の夜から、よくやる“火の用心”のを青年消防団で地区全域に呼びかけまわっていたのです。
「変ねえ。テレビか何かで消防署のことでもやってたのかしら? 最近教育テレビもよく見てるし。」
当然、誰かが言っているのを耳で聞かない限り幼児が言葉を覚えることはありませんから、娘がどこでどうして「ピーポー」という単語を知ったのか不思議でした。
「そうかあ。教育テレビとかでやってたのかな。乾燥して火事の多い冬は、消防署の特集をやっててもおかしくない。」
そのくらいにしか考えていませんでした。
それからしばらくたった夜のことです。
トイレに起きた僕は、厳しく冷え込んだ廊下をつま先立ちになって歩いていました。
早くあったかい布団に戻らなきゃ。用を済ませ、寝室に急いでいると
「ピーポー…、ピーポー…」
娘が洗面台で鏡の方に向かって左手をひらひら振っているのがチラッとみえました。
「こんなところまでハイハイしてきちゃったの?風邪ひいちゃうよ。パパと一緒にママのところに戻ろうねー」
抱きかかえようとすると、娘はいつにも増してぐずりました。
「いや!!ピーポーのところ!ピーポーのところ!!」
あやしても全くいうことを聞きません。
「ピーポー!パパ!!ピーポーだもん!!」
「どうしたんだよ全く…。…じゃあ、カレンダーも一緒に持ってねんねしようか?」
壁にかかったカレンダーを外そうと、
手を伸ばしかけたその時、
「ピーポー、早く、よんで?」
鏡の中に見えたのは
血に染まったワンピースを着た、長髪の女。
「あ…あ…う、うわあああああああ!!!」
僕はパニックになり、泣き叫ぶ娘を抱えて寝室に駆け込みました。
あの後すぐ、騒ぎで起きた妻も加えて三人でもう一度洗面台に行きましたが、あの女は二度と鏡に映ることはありませんでした。
次の日、消防団にいる知人に神社の方を紹介してもらい、マイホームと家族三人ともどもお祓いをしてもらいました。
娘はその後何ともありませんでしたが、その後あのカレンダーを見せても「ピーポー」ということはありませんでした。
むしろ、「ママー、これなにー?」と妻に尋ねる始末でした。あれ以来完全に覚えていないようです。
もしかしてあの女の霊が娘を介して救急車を呼ぶように訴えていたのかもしれません…。
小さい子は霊が見えるって言いますから。
三年後、第二子が生まれました。男の子です。
すくすくと育ち、「パパ」「ママ」も話し始めるように。
娘もお姉ちゃんらしく、よく弟の面倒をみてくれています。
そして、ある晴れた日。
「きゃきゃきゃっ!」
洗面所の鏡の前で息子がうれしそうに笑っています。
「どうしたー?なにか面白いものでもあったかなー?」と僕。
鏡の方を指さしながら息子は…
「ねえねえ、聞いてパパ!ピーポー!ピーポーいるよ!」
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