
長編
中央アルプスフリーク
しもやん 3日前
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条さんもわたしを覚えていたのだろう。陽気に片手を挙げた。「また会ったね、青年」
わたしはぺこりと頭を下げて応えた。「どうも、ご無沙汰してます」
彼は3,000メートル級の山に持っていくには小さすぎるザックを無造作に投げ出し、わざとらしく息を吐いた。
ここからはお定まりの会話が始まった。どこからアプローチしたのか、登山道の状況はどうか、コマクサやチングルマは咲いているか、これからどこまで行くのか、木曽谷アプローチは林道歩きが長すぎる、檜尾小屋を有人化したらもっとこの山域は盛り上がるはずだ(驚くべきことに、これはのちにクラウドファンディングによって実現する)、など。わたしは誘惑に勝てず、気になっていたことを聞いてみた。
「中央アルプスでよくお見かけしますね。この山域がお好きなんですか?」
「まあ……好きというか、なんというか」
てっきりフリーク特有の熱意が吐き出されるものと思っていたのだが、東条さんの歯切れは悪い。
「どういうことです」
「青年は中央アルプスが好きかい」
「まあ、そりゃ。ヤマヒルも出ませんしね」
東条さんは水筒からお茶を注ぎ、対岸の南アルプスの稜線を眺めている。心だけどこか遠くへ飛翔しているかのようだ。
「ずいぶん前のことだけどね。俺には登山仲間がいた」
彼は問わず語りにぽつりぽつりと話し始めた。
* * *
東条さんには若いころ、ともに山を極めんとする児玉さんという同士がいた。
二人は奥穂高~西穂高縦走や剱岳の北方稜線など、難ルートをあらかたクリア、その後は沢登りやバリエーションにも挑戦し、山屋としてのキャリアを着実に積んでいた。
そんな彼らですら、いつかはミスを犯すものだ。山行中絶えず集中し続けることは不可能である。山に入っている時間が長ければ長いほど、事故に遭う確率は高くなる。それは難ルートで起こるとは限らない。むしろなんの変哲もない一般道で起きることのほうが多いのだという。
事後現場は中央アルプスの仙涯嶺直下。その日二人は〈たまには気楽な山行を〉という趣旨で、越百山を基点として空木岳に至り、木曽殿越えを経由して下山するルートを考えていたそうだ。
仙涯嶺(2,734メートル)は中央アルプス南部のオベリスク的な山で、直下には垂直に近い岩場がある。とはいえホールドも豊富で、難易度は決して高くない。ただ時期が悪かった。11月下旬、岩場の表面は
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- 当然の如く面白い!! お帰りになるのをお待ちしておりました。 ありがとうございます。1人で寝れない