
長編
中央アルプスフリーク
しもやん 3日前
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かけませんでしたが、どうしてたんです」
「見つかったんだよ、児玉が」やけに彼は嬉しそうだった。「だからもう、血眼になってここらあたりに登らなくてもよくなってね。今日は純粋に山を楽しみに来てるんだ」
心から彼の冥福を祈った。「児玉さんは、どこで……?」
「あの野郎、のんきに檜尾小屋に泊まってやがった」
記憶している限りでは、確か仙涯嶺で滑落したという話だったはずだ。檜尾小屋は仙涯嶺から数キロメートル以上も離れた位置にある。これは遺体を一時的に収容した場所だ、という意味なのだろうか?
わたしは首をひねりながら暇を告げた。「ご冥福をお祈りします」
「ああ、ありがとう。きっとやつも浮かばれるよ」
島田娘を下りながら、わたしは身の毛のよだつような可能性に気づいた。
事故の当事者は、逆だったのではないか? 東条さんが滑落した側で、児玉さんが岩を落とした側だったのでは? 山で起きた事故は生存者の証言を信じるしかない。過失とはいえ人を死なせた(と思い込んでいた)児玉さんが、下山後に法的な制裁を恐れて本件をうやむやにした可能性は十分考えられる。
彼は万が一相棒が生きていることを考慮し、生活圏から姿をくらませた――。
仮にそうだとして、それではなぜ東条さんは自力下山後、家族や友人に児玉さんの行方を尋ねなかったのか。なぜ関係者に児玉さんの不誠実な対応を吹聴しなかったのか。
東条さんは復讐を誓っていたのかもしれない。みずからの手で、かつての相棒に罰を下すのだと。そのためには彼が生きていることを児玉さんに知られてはならない。
瀕死の重傷を負って血まみれになりながらも、相棒への恨みを募らせながら執念で下山する若き日の東条さんの姿が、脳裏にありありと浮かぶ。
山屋は山に登ることでしか己が生きていることを自覚できない哀れな人種である。どれだけ忌まわしい記憶があろうとも、いつか必ず山へ戻って行く。それはもはや習性に近い。渡り鳥が遠く離れた営巣地に戻ってくるようなものだ。児玉さんも何十年も前のことだという油断があり、古巣の中央アルプスに凱旋を果たした――。
以上の予想はすべてわたしの妄想である。
それでもわたしはどうしても、東条さんの去り際の台詞が気になって仕方がない。
「きっとやつも浮かばれるよ」
児玉さんが亡くなったのはいつなのだろう。わたしはそれが、数十年前であってほしいと切に願っている。
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- 当然の如く面白い!! お帰りになるのをお待ちしておりました。 ありがとうございます。1人で寝れない