
長編
幻の村
しもやん 2024年2月18日
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山では見知らぬ他人との距離が不思議と近くなる。
すれ違えばあいさつをするのは当たり前だし、フィーリングが合えば長々と山談義をしたりもする。
目的地さえ合えば、道連れになることさえそう珍しくはない。
以下に語る話はわたしが若いころに遭遇した、とある女性登山者との邂逅の記録である。
記憶が風化しつつあるいま、少しでも多くの人に知ってもらうため、不特定多数の読者が得られる場に投稿することにした(会話や情景描写は覚えている限り正確に書いたつもりだが、年月が経つあいだに脳の補完を受けている可能性があることをあらかじめ断っておく)。
もう10年以上も前の話になる。
* * *
20代前半のころのわたしは粗末なガイドブックを片手に、手ごろな山へなんの予習もなしに突撃をくり返す猪武者のようなスタイルだった。
無知とは恐ろしいものだ。出版年の古いガイドブックに記載されたルートは廃道と化していることもままあり、現場で往生した経験も一度や二度ではない。
それでも若さゆえの勢いでいろんな低山へ突っ込んで蜘蛛の巣だらけ、ヒルまみれになって命からがら帰ってくる。そんな無謀な山行が実に刺激的であった。
記憶があいまいなのだが、あれは秋も深まってきた鈴鹿山脈での出来事だったと思う。
例によってガイドブックに記載されていた藤原岳へ、なんの予習もなしに裏道(聖宝寺ルート)から登り始めた。
聖宝寺ルートは表道(大貝戸ルート)ほどではないが、十分整備された一般道である。1合めごとに指導標が建てられ、木々には等間隔でペナントが巻いてある。いまのわたしなら目をつむっていても登れるようなルートだ。
とはいえ沢から尾根に道が切り替わったり、山腹をジグザグに登ったり変化に富んでいるため、現在位置をロストしやすい面は否めない。当時の〈山感覚〉が備わっていなかったわたしは案の定、道に迷った。
経験の浅かったわたしはパニックを発症してしまった。道の通されていない藪がちな尾根をあてもなく彷徨い歩き、大声で助けを求めた。死の恐怖に憑りつかれていた。
単独登山での道迷いほど心細いものはない。晩秋の山は生命の息吹が感じられず、木枯らしが吹くたびに葉の落ちた木々がざわめく。そのさまはなんとも言えず不気味だった。
万策尽きて怒鳴る元気もなくなり、切り株に腰かけて頭を抱えていると、人の呼ぶ声が聞こえてくることに気づいた。近い。
「ねえ、誰かいるの」
わたしは弾かれたように立ち上がり、大きく手を振りながら絶叫していた。「ここです、ここにいます!」
声のしたほうへ矢も楯もたまらずに走っていくと、間もなく尾根芯に出た。人がおよそ歩けないような山腹を延々とトラバースしていたらしい。〈迷ったら尾根を辿れ〉。当時のわたしはこんなことも知らなかったのだ。
息を切らせて声の主を探すと、カラフルな装いの若い女性がきょとんとした表情で待っていてくれた。いまでも彼女の顔をよく覚えているのだが、色の白いうりざね顔の、切れ長の目をした薄幸そうな女性だった。
推定25~35歳くらい、黄土色のサファリハットに防寒用のウィンドブレーカーを羽織っていた。アウターの鮮烈なピンクが強く印象に残っている。
「さっき返事したの、あなた?」
「そうです。実は道に迷ってしまって。おかげで助かりました」
現在地は8合めの表道・裏道の合流点である由。深山幽谷に迷い込んでしまったと絶望していたのだが、案外正規ルートの近くをうろついていたのだ。道迷いとは概してこんなものである。
「どうせなら山頂まで一緒に来る? あたしこの山詳しいから」
願ってもない申し出であった。
彼女は美奈子と名乗った。三重県在住で、藤原岳には春秋冬の「オールシーズン」欠かさず登っているそうだ(夏が抜けているのはヤマヒルが大量に出現するため。事実上鈴鹿は夏に限り、入山禁止のようなものである)。
わたしはすっかり舞い上がっていた。地元の、それも若い女性に案内してもらえる僥倖に巡り合えるなど、そう滅多にあるものではない。それだけでは足りないとでもいうかのように彼女は親しげに話しかけてくれて、味気ない登山に彩りが添えられた。
その後何度も藤原岳には訪れるのだが、その日は初挑戦だったため美奈子さんに先導をお願いし、道案内を全面的に任せる格好となった。
あらかじめ断っておく。もし読者が似たようなシチュエーションに出くわしたのなら、見知らぬ他人を頼るのはよくよく慎重になってほしい。彼または彼女がどんな意図であなたを導こうとしているのかを勘ぐってほしい。〈登山者はみな親切である〉という性善説に依拠した格言があるが、まったくの誤謬である(わたしは槍ヶ岳山荘で、乾燥室に干しておいたウィンドブレーカーを盗まれたことがある。登山者はみな親切が聞いて呆れる)。
美奈子さんは万事心得ているらしく、迷いのない足取りで先導を務めてくれた。わたしはその後ろをコバンザメのようにただひたすら、盲目的に追従する。
どれくらい歩いただろうか。時間を確認していないのであて推量になるが、1時間以上は経っていた。彼女に会ったのが8合めだったのだから、山頂はそう遠くないはずだ。もうとっくに着いていてもおかしくはない。
会話が途切れたところで、聞いてみた。
「すいません、山頂はまだ遠そうですかね。お腹空いちゃって」
「まだだよ」
ゾッとするような声音だった。
「美奈子さんに会ったのが8合めでしょ。もう着いててもいいような気がするんですけど」
また道迷いに巻き込まれてはかなわない。言外にそう匂わせたつもりだった。
「もうすぐだって。いいから着いてきて」
こちらは助けてもらったうえに藤原岳初挑戦の身だ。そうするよりなかった。
さらに1時間は絶対に経っていたと思う。8合め地点から数えればゆうに2時間以上となる。
ちなみに〈山と高原地図〉の目安コースタイムは「麓からの全行程で」2時間30分程度である。多少足の速い健脚者なら、下から登って山頂にいる頃合いだ。どう考えても時間がかかりすぎている。
「着いたよ」
意を決して意見しようとしたとき、めっきり口数の少なくなっていた美奈子さんが唐突につぶやいた。
わたしはすっかり度肝を抜かれてしまった。
山頂は広大な高原然とした場所で、見渡す限りどこまでも続いているように思えた。ススキが生い茂り、アキアカネが無数に飛び交い、畦道で四角く区切られた区画には黄金色に輝く稲穂が頭を垂れている。茅葺き屋根の古民家が点在し、壁には鍬や鋤といった農機具が立てかけられていた。情景の全体がきつね色一色で、吹き渡る微風にススキと稲が幽かに揺れていた。
いまにも民家から野良着姿の老人が顔を出しそうな雰囲気なのだが、不思議と人の気配はなく、風の音以外はいっさい無音であった。
「美奈子さん、ここは……?」
聞かずにはいられなかった。
「あたしの故郷」彼女は目を細めてうっとりとしていた。「あたしの生まれた場所」
いまでも鮮明に覚えている。彼女は確かにそう言ったと思う。そのときはそうなのだろうと納得してしまった。わたしは読者が想像もできないような田舎育ちである。この情景には子ども時代の郷愁を誘う強烈な魔力があった。どう考えてもここは藤原岳の山頂ではないのだが、それは些細なことのように思えた。
わたしは誘われるように古民家の軒先を潜った。
内部に入ると土間があり、そこから三和土につながっていた。奥には囲炉裏を板の間で囲った和室があり、囲炉裏にはさっきまで人がいたかのように赤々と火がかかっている。火を受けている鍋には里芋やゴボウの雑煮が入っていて、湯は沸騰していた。
美奈子さんも入ってきて、まるで自分の家ででもあるかのように靴を脱ぎ散らかし、囲炉裏の前で足を崩した。彼女は目を細めて微笑むと、こう言った。「こっちに来なよ。一緒に食べよ」
それからの記憶がない。一緒に雑煮を食べたのか、怖気づいて逃げ出したのか。
気づくとわたしは聖宝寺ルート登山口に突っ立っていた。すっかり陽は落ちていて、時刻は21時であった。驚くべきことに翌日の21時だった(土曜日の山行だったため、無断欠勤をやらかさずに済んだのだけが不幸中の幸いである)。
気持ちの整理がつけられず、その場に30分以上もへたり込んでいたと思う。
* * *
読図ができるようになってから、わたしは折りに触れて藤原岳付近の地形図を眺めるようになった。
あれだけ広大なスペースなら、地形図上に平坦な長い楕円として描かれているはずである。藤原岳直下には無人の山小屋があり、カレンフェルトの岩塊の点在する高原のような場所が確かにある。けれども民家や田園はないし(そもそも水の得られない山頂付近で稲作などできるはずがない)、それらがあった形跡もない。諦めきれずにこの地方の郷土史を読み漁ったけれど、藤原岳に人が住んでいた記録も残っていなかった。
藤原岳8合めから2時間圏内で行ける似たような場所となると、御池岳(1,247メートル)のテーブルランドくらいしか思いつかない。確かに見渡す限りの高原だし、秋になれば枯草が稲に見えなくもない。問題は民家である。当然テーブルランドにもそんなものは建っていた形跡すらないのだ(本筋とは逸れるが、紅葉の時期のテーブルランドは死ぬまでに一度は訪れておきたい屈指の景勝地である)。
一連の出来事は白昼夢だったのだろうか? わたしは道迷いで発症したパニックからいもしない女性と、ありもしない日本の原風景を幻視したのだろうか? そうかもしれないが、それにしては記憶が鮮明すぎるのが気にかかる。すべて夢や幻で片づけるには体験が生々しすぎるのだ。
登山を始めて十余年、ヤマヒルの出なくなった秋になると、わたしの足は自然と鈴鹿山脈へ向かう。
もう一度あの村へ行ってみたい。そこにはきっと美奈子さんもいるだろう。
彼女と再会し、山の幸が盛られた雑煮を一緒に食べる。
そんなことを夢見ながら、今日もわたしは鈴鹿を歩くのだ。
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