
長編
中仙道西○△怪談/暗渠
チコ 2018年7月12日
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半年以上続いた風邪は、やはり霊障でした。
400年前の怨霊に霊障から救われた恐怖の実体験です。霊障にはサウナが一番効くと知りました。
1.最低の休日
その年の9月のある日、仕事帰りにA体育館プールで泳いだ私は、帰宅後、携帯電話を体育館に置き忘れたことに気付いた。
翌日は休日だったので、朝からA体育館にいき、携帯電話を無事に回収、せっかく来たのでもう一泳ぎして帰路に就いたが、
電車を乗り換えるはずのA2駅を寝過ごし、一つ先のA3駅で下車した。
一駅といっても大した距離ではないので、A2駅から少し離れたB駅に向けて徒歩で向かったが、なぜか腹痛が発生、
B駅そばの喫茶店で休憩を余儀なくされた。
ようやく帰宅すると、今度は携帯電話を喫茶店に置き忘れたことに気付いた。
自宅とB駅を更にもう一往復して携帯電話を回収、帰宅すると今度はトイレの電球が切れてしまった。
疲労困憊の体を引き摺ってホームセンタ-へ電球を買いにいき、帰宅して電球は取り替えると夕方になっていた。
2.異変
翌朝、風邪を引いてるのに気付いたが、すぐ治るとタカをくくった。
しかし風邪は症状が重くなったり軽くなったりを繰り返し、冬に入っても完治することはなかった。
かかりつけの医師に相談しても首を捻り、抗生物質を処方するばかりであった。
その間、奇怪な出来事がいくつも発生した。
(1)10月下旬
近所で買い物した帰路、目を疑うような光景を見た。
住んでいる集合住宅前に救急車、パトカー、消防車が回転灯を光らせて停車、多数の消防・警察官がひしめいていた。
やがて消防隊員が3階の一室のベランダに到達、窓を破って室内に侵入した。
その後、救急車両はサイレンを鳴らさずに引き上げた。救急隊員が侵入した部屋の住人は助からなかったのだろうか。
この出来事について集合住宅の管理会社、管理人からは何の説明もなく、某有名事故物件サイトにも炎マークの記載はなかった。
私の幻覚なのだろうか。
(2)12月初旬
同僚の送別会を兼ねた職場の忘年会が池袋近辺であり、当時の私には珍しくアルコールを相当量摂取した。
池袋近辺の駅で皆と別れたが、その次の記憶は「次は終点、八王子です。この電車は折り返し八高線下り最終電車となります」
との車掌アナウンスであった。なんと板橋に住んでた私が、全く方角が違う八王子まで漂流し、八高線下り電車でどこかへ行ってたのであった。
私は宇宙人に誘拐されていたのだろうか。それとも悪霊に憑依されていたのか。
酔って電車を乗り過ごす・山手線を何週もする、といった失態とは、性質を異にする怪奇現象に思えてならなかった。
タクシ-で帰宅するのに17000円、メガネを新調するのに4万円強を要したが、風邪の症状は一時的に治まった。
しかし二日酔いが醒めると、また風邪の症状がぶり返した。
3.悪寒
正月を過ぎると、風邪の症状は一層、増悪した。
悪寒が酷く、会社では朝から昼食までコート着用で仕事した。
昼食で体が暖まって、ようやくコートを脱ぐ有様だった。
退勤後はまっすぐ帰宅、ただちにコタツに潜り込み、暇つぶしに図書館で借りた書籍を読んだ。
就寝しても足の付け根が冷え、痺れ、ときに痙攣するので寝付けなかった。
痙攣は地震のように激しくなる場合もあり、遠くで読経してるような空耳が伴うこともあった。
温湿布を試したが、暖まる前に痒くなるので、剥がすしかなかった。
今だったら「寒いならサウナ行けばいいじゃん」と思うところだが、当時はなぜかそのようなアイデアは浮かばなかった。
サウナに行く気力体力も尽きていたのかもしれない。
4.啓示
4月に入っても状況は好転しなかったが、図書館でコタツ用書籍を物色中、間違って「・・・OL殺人事件」なる書籍を手に取り、
たまたま開いた頁にA2駅界隈の光景が記載されてた。
マイナーなA2駅界隈を著名作家が描くのに興味をひかれ、借りて読んだ。
同書によれば、A2駅の裏手の線路沿い「C通り商店街」を直進し、3個目の踏み切りの先にあるD寺には、
有名な芝居のヒロインであるC様の墓があるとのことで、・・・OL殺人事件との因縁をまことしやかに論じていた。
A2駅を何年も利用していたが、その裏手が「C通り商店街」だとか、その先にC様の墓があるとか初めて知った。
C様は実在人物で、400年後の現代でも祟りがあると聞いたことがあった。
半年続く風邪もC様の祟りかもしれないと私は考えた。
5.救済
体調不良が酷かったある日、私は会社を早退してD寺をお参りした。
書籍の通り、C通り商店街を直進したが、3個目の踏み切りには「事故多し!注意!」との真新しい看板が立っており、
その先にはD寺を初めとして複数の寺院が隣り合って建っていた。
D寺墓地の一番奥に鳥居が設けられ、鳥居の上には参拝者を威嚇するかのように、曰く因縁を記した看板が付けられていた。
合掌して参拝の許しを乞うてから鳥居を潜り、コの字形の通路を進んだ突き当りがC様墓所であった。
その先は近隣の寺に付属する墓地が延々と続いていた。
「D寺墓地の奥にC様の墓がある」というより、「C様墓所を中心に半径50Mが墓地で、D寺以下9つの寺が墓地を封じている」
といった方がピッタリ来る光景であった。
丁重に参拝して辞去したが、寺の門を出るとき、何かが体の中から抜けていくのを実感した。
翌日から悪寒は解消、コートを着用せずに仕事できるようになった。
6.究明
C様墓所を参拝して一発で治ったので、半年以上続いた風邪の症状は霊障だったと分かり、愕然とした。
40歳過ぎて幽霊を見たことがなかったので、自分が心霊現象に見舞われるとは思っていなかった。
C様に祟られた原因を知りたくてC様に関する文献を探した。
でも芝居のヒロインとしてのC様に関する文献は腐るほどあったが、実在した人物・怨霊としてのC様に関する文献は殆どなかった。
業を煮やした私はC様に関係なく、心霊本を片っ端から読破していった。
C様に祟られた原因は見つけられないかもしれないが、霊障への対策が見つかると思ったからだ。
だが怪談文学とは読者の心胆を寒からしめるのが目的らしく、「こうすれば助かった」式の”対策”に触れた書物を殆どなかった。
7.2次被害
心霊本を20冊ほど読破した辺りで、私は不眠症になった。
集合住宅の7階に住んでるのに、就寝してからも、外の人声がヤケにハッキリ聴こえた。
ウトウトしていても、終電時刻過ぎに駅の方へ向かう人声がしようものなら、心の中で心霊検知メーターが自動で起動、警報が鳴ってガバっと跳ね起き、朝まで眠れなくなった。PTSDの一種なのだろうか。
酒も睡眠導入剤も効かなかったが、、なぜか朝になると眠ることが出来た。
酷い睡眠不足のせいで、仕事中、隣の席の女性をC様の幽霊と勘違いしたこともあった。
8.後遺症
風邪の症状は治まったが、足の付け根の冷え・痛み・痒みは直ぐには治らなかった。
タイガ-バ-ムを患部に塗ってるうちに痒みは軽減、すかさず温湿布を貼ってるうち快方に向かった。
C様ゆかりの寺院に通い、加持祈祷を受け、御守りを身に付け、部屋中に御札を貼ってるるうち、夜も眠れるようになった。
さらに、心霊本に代え、ネットで怪談サイトを読むようにしたら、コメント欄に霊障対策がてんこもりで、悪霊と闘う勇気さえ湧いてきた。
知識が増えると、霊障の原因はC様ではないように思えてきたが、真犯人が誰か見当が付かなかった。
9.暗渠
数年後、職場で回覧されてる業界新聞に、真相に繋がる記事を見つけた。
記事によると、20世紀末のある嵐の日、A体育館付近の暗渠内で、建設工事に従事していた作業員が台風による増水で流され、行方不明になったという。
東京は江戸と呼ばれた昔、水路が張り巡らされた「水の都」であった。
20世紀になり、水路は道路交通の邪魔になるので多くは埋め立てられた。
しかし水路には排水の役割もあるので、全部埋め立てると台風などの増水時は排水が滞り、街が水浸しになってしまう。
よって天然の小川など排水機能が高い水路は、埋め立てず、水路の上に道路や公園を作って蓋をした。
このように人工的に地下水路化された水路を暗渠というらしい。
東京には無数の暗渠が複雑なネットワークを形成していて、その全貌は誰にも分らないらしい。
暗渠内の水路に流されると、どこへ流れ着くか全く見当がつかず、遺体が見つかることはないという。
暗渠内は空気も悪く、酸欠のおそれもあるというから、「カリオストロの城」の地下牢みたいなもので、まさに「生ける者の赴く所ではありませぬ」。
ダイバ-が暗渠内の地下水路を潜って探すのは、自殺行為に近い。
10.真相
肉体への執着心から、行方不明の作業員の霊は、冷たい水底を漂う遺体に閉じ込められ、悪寒に苛まれていたのであろう。
悪寒から逃れるため、有り余る体脂肪を備え、高血糖ハイオク血液を漲らせて泳ぐ私に憑依したが、危うく共倒れになりかけた。
作業員の中には八高線沿いの住人もいたのかもしれない。
C様墓所で憑依が解け、私は悪寒から解放され、作業員の霊も冷たい水底を去って成仏したのが真相だと思う。
末尾ながら、水害の犠牲となった全ての方々のご冥福を心よりお祈りします。
合掌
後日談:
- 西◎△の因縁話は他にもあります。
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