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長編

お礼をしたいので 3

しもやん 2024年5月12日
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 以前、自殺しようとしていた女子大生を助け、そのお礼という名目で三重県の木和田尾登山口に呼び出されたことがあった(「お礼をしたいので1」、「お礼をしたいので2」参照)。  その際科学的に説明のつかない体験を強いられ、本件にはこれ以上関わるまいと誓っていた。  わたしの決心とは裏腹に、つい先日例の女性と偶然、鈴鹿山脈にて邂逅することとなった。  わたしは起こった出来事を整理できず、ひどく混乱している。      *     *     *  5月の大型連休後半、わたしは鈴鹿山脈を1泊2日で縦走する計画を立てていた。  6年ほど前にも似たような山行を完遂していたため、今回は少し趣向を凝らしてみようという意欲があった。ルートは以下の通りである。 1日め 三岐鉄道伊勢治田駅→青川峡キャンピングパーク登山口→大鉢山→遠足尾根合流→竜ヶ岳→石槫峠→三池岳→釈迦ヶ岳→羽鳥峰峠(幕営) 2日め 羽鳥峰峠→根の平峠→国見岳→国見峠→御在所岳→武平峠→鎌ヶ岳→雲母峰→近鉄湯の山温泉駅(伊勢治田駅までは電車で戻る)  40歳が間近に迫ってきた昨今、体力は低下の一途をたどっている。テント泊装備の重さと季節外れの炎天が合わさり、わたしは顎を突き出しながらじりじりと標高を上げていった。  1日めは気力と根性でなんとか予定通り羽鳥峰峠でテントを張ることができた。あまりの疲労でしばらくなにもすることができず、テント内で虚空を見つめ続けること数十分、しぶしぶ夕食の準備にかかる。  アルファ化米を湯で戻しながら、ふと木和田尾で会えなかった――あるいは会っていたのかもしれない――女性のことを思い出した。21歳の若さで自殺しようと厳冬期の山に軽装で分け入った彼女。助けられたお礼をしたいと言ってくれた彼女。  元気にしているだろうか。元気にしていてほしい。連絡先はまだ残してあるが、気味の悪さからコンタクトを続けなかったことを時折、後ろめたく感じていた。      *     *     *  翌日も1日めに引けをとらない強烈な直射日光が降り注いでいた。前日の疲労も重なってわたしはさながらゾンビのごとく、フラフラの死に体で主稜線を南下していた。這う這うの体で鎌ヶ岳に辿りつき、あとはほぼ下山だけだと油断したのもつかの間、雲母峰までの縦走路は予想外に手強い難路であった。  核心部である白ハゲでは絶壁の下降を強いられ、他にも崩壊した巻き道やしつこく続くアップダウンなど、縦走終盤で余力の残っていない身体にとどめを刺すような登山道であった。  命からがら雲母峰に到着したときは、900メートルもないような低山であるにも関わらず妙な達成感を得られたものだ。  雲母峰は山岳名の美しさとは裏腹に、樹木の密生する眺望の効かない地味なピークである。主稜線から外れているため人通りも皆無なはずなのだが、この日は先着者がいた。  サファリハットにNORTH FACEのTシャツ、下は黄土色のハーフパンツ、アンダーは黒のタイツという装いで、ザックを下ろして休憩中といったところか。スリムな体型をした若い女性である。  わたしもザックを下ろし、水筒に入った沢の水をあおり、条件反射的に「こんにちは」と声をかけた。〈登山者を見かけたら挨拶する〉。一種のオペラント条件づけのようなものである。  返事は返ってこなかった。こちらの善意を無視する陰気な登山者はごくたまにいるので、特段気にすることなく手ごろな岩に腰かける。雲母峰山頂はそよとも風が吹かず、羽虫の飛び交う耳障りな音だけがあたりに響いていた。  紙の地図とスマートフォンで残りの行程を確認していると、貫くような鋭い視線を感じた。この場にいるのはわたし以外、挨拶を無視した女性だけなのだから、出どころはひとつしかない。横目でちらりと視線を移す。彼女は眉間に皺を寄せてわたしを睨みつけていた。いったいわたしがなにをしたのだと思う間もなく、両者ともに「あっ」と感嘆の声を上げていた。 「桐谷さんですか?」若い女性が詰め寄ってきた。「桐谷さんですよね?」  彼女はほかでもない、数年前に自殺を思いとどまらせた女子大生であった。いくぶん顔立ちは大人びていたものの、暖色系のアイシャドウという特徴的なメイクは変わっていなかった。  思わず後ずさった。彼女はとっくに死んだものと思っていたのだ。セ氏30度に近い季節外れの炎天下だというのに、震えと冷や汗が止まらない。それでもすぐに落ち着きを取り戻した。わたしは無神論者である。死人が生き返ったり幽霊などという証明しようのない代物が存在しないことは先刻承知だ。目の前の女性は生身の生きた人間だとすぐに結論を出した。 「誰だと思ったら佐伯さんか。その後どうしてたんです」 「連絡もしないですいません」  もと女子大生の語った内容は次の通りであった。      *     *     *  彼女はわたしに助けられたあとも無気力な毎日を過ごしていた。  いったん自殺は思いとどまったものの、だからといって根本原因が解決したわけではない(自殺の理由についてはついに語らずじまいであった。もしかすると理由などなかったのかもしれない)。  ほとんど大学にも行かずに自宅へ引きこもり、所定の単位を取得できずに留年が確定した時点でいったん休学を申請。彼女はますます社会的に孤立していく。  その際にスマートフォンに登録されていたSNSや連絡先をすべて削除し、アカウントも根こそぎ抹消したのだという。そうして人間関係を断舎利すると、不思議と気分が晴れたのだそうだ。  心療内科に通って精神的な治療を受け、佐伯さんはみるみる持ち直していく。1年後には復学を果たし、生まれ変わった気分で大学生活を再開した。  自分と同じような悩みを抱える人びとの役に立ちたいという志のもと、臨床心理士の資格を取るために大学院へ進学し、苦心の末希望職種に就職。いまは社会人1年めの25歳である由。仕事は思い描いていた理想と必ずしも一致しないけれども、そうした齟齬も含めて毎日が新鮮である。それもすべては桐谷さんのおかげだと、佐伯さんは何度も感謝の意を述べてくれた。  資格取得の猛勉強から解放され、比較的時間に融通の効く社会人になってから、彼女は鈴鹿山脈北中部をしらみつぶしに登り始めたそうだ。4年前に彼女の自宅の最寄り駅まで送っていく際、どこの出身であるかをわたしは話したらしい。岐阜県民であることを脳裏に焼き付けていたので、①南部にはあまり来ないはず、②木和田尾のようなマイナーなルートを歩いている可能性が高いと(驚くほど正確に)推定、北限を霊仙山、南限を仙ヶ岳として時間の許す限り、休日は山歩きをしていたという。  その理由は、どうしてもわたしに会いたかったから――。      *     *     *  聞き終わったあと、どうしても気になっていた点を聞かずにはいられなかった。 「1年くらい前に木和田尾の登山口集合で呼び出したのはなんだったんです」  彼女は眼を瞬いた。「なんのこと?」 「去年の3月くらいにお礼がしたいからって、佐伯さんから連絡もらったけど。ほら、例のいたずら」 「そんな連絡してないよ。そもそも連絡できるくらいならこんなことやってないし」  確かにその通りであった。彼女は休学して自宅に引きこもっていた際、連絡先をすべて消したと言っていた。むろんわたしのそれも例外ではなかったはずだ。もし残っているのなら、鈴鹿山脈行脚をやらかして偶然の出会いに期待する、などという面倒な真似をするはずがない。  わたしはめまいを起こしそうになっていた。「ぼくの連絡先を消す前、誰かに教えたりは?」  佐伯さんは首を横に振った。「してないですよ」  なぜそんな質問をするのか不思議そうにしている彼女を前に、必死に時系列を整理する。佐伯さんを助けたのが4年前。お礼をしたいと呼び出されたのが1年と少し前。彼女が引きこもっていたのは約1年ほどで、助けられてからすぐ始まったと仮定すれば3年前には復学している計算になる。連絡先を消したのは引きこもり期間のはずだから、どれだけ多めに見積もっても3~4年前以内にすべての連絡先が抹消されているはずだ。 「もう一度確認します。去年の3月、ぼくに会いたいと連絡してないんだね?」  彼女はきっぱりと否定した。  わたしを木和田尾に呼び出したのはいったい誰なのだろう。      *     *     *  わたしたちは改めて連絡先を交換した。予想していた通り、SNSのアカウントは以前から登録されているものとはまったく異なっていた。ただ名前は一致しており、同姓同名のアカウントが縦に並ぶこととなった。  雲母峰から下山し、近鉄湯の山温泉駅から四日市駅へ移動している際、早速佐伯さんから連絡があった。今日出会えたのは奇跡だし、今度改めてお礼を言いたいからぜひ会ってほしい、という内容だった。  この奇妙な現象に合理的な説明をつけることは当然、できる。彼女はわたしの連絡先を消しておらず、前回(理由は不明だけれども)いたずらを仕掛けた。今回はあたかも前回のペテンなどなかったかのようにふるまい、わたしをさらに混乱させて楽しんでいる――。  こう解釈すれば一応筋は通る。筋は通るが道理が通らない。佐伯さんが嘘を言っているようにはどうしても思えなかったし、わたしのような壮年男性をペテンに引っかけて楽しむよりも、もっと有意義なことはこの世にいくらでもある。  どのみち今回の邂逅は偶然だったはずだ。わたしは登山届を出さないタイプの登山者である。行き先も誰にも告げていかない。それは自己責任を徹底しているからだ。みずからの意思で山に入るからには、救助など始めから期待すべきではない。不慮の事故だろうがなんだろうが、自力で解決できなければ座して死を待つ。それが当然ではないか?  いままで何度も命にかかわるような苦境に陥ってきたが、救助を要請しようと思ったことなど一度もない。わたしが仮に山で遭難して行方不明になったとしても、行き先を誰も知らなければ捜索もされない。救助隊に迷惑はかからず、わたしの遺体はひっそりと山の養分となって自然に還るだろう。  今回も直前まで登山ルートは決まっておらず、最終的な下山ルートが決まったのは2日めの鎌ヶ岳においてであった。わたしの心を遠隔的に読まない限り、雲母峰で待ち伏せして計画的にペテンを仕掛けるのは不可能である。そうなると彼女はただ単にわたしを担いで楽しむためだけのことに、連日鈴鹿山脈を彷徨って偶然の邂逅を求めていたという結論になる。  さすがにそんな人間はいまい。素直に佐伯さんの語ってくれた過去を信じるほかはない。      *     *     *  お礼の話はトントン拍子で進み、わたしは再び――みたびなのかもしれないが――彼女と会うことになった。  次会うとき、それは果たして佐伯さん本人なのだろうか。  同姓同名のアカウントが並んでいるのを見るにつけ、わたしは不安に駆られるのである。

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