
冬の午後、郊外の商業施設に新たなグループが現れた。店の一角には、白い布で覆われたテーブルが置かれ、そこには「調和の会」と書かれた看板が掲げられていた。
これが何を意味するのか、最初はわからなかった。
近所の若い主婦が言っていた。「ただのサポートグループよ。誰でも気軽に参加できるの。」
実際、そこでは誰も宗教的な言葉を使わなかった。
ただ、共通していたのは、参加者が口にする不思議なフレーズだった。「それは、調和に反します。」
子供たちの学校でも、様子が変わっていった。
彼らは、以前のように遅刻することがなくなり、無駄話もしなくなった。
担任の先生が言った。「最近、みんなが落ち着いている。」
でも、何かが違った。
全員が同じタイミングで笑ったり、黙ったりしている。
誰かの意見が出る前に、空気が「正しい答え」を決めていた。
ある日、友達が言った。「最近、すごく楽だよ。」
その理由を尋ねると、彼はこう答えた。「選ぶ必要がないから。」
調和の会では、質問をすると必ず一瞬の沈黙があった。
そして、誰かが言う。「今は、その選択ではありません。」
その理由は説明されないが、なぜか納得してしまう。
後で考えると、妙な感覚が残った。
家でも変化が起きた。
夫婦の喧嘩が減り、テレビの音量も低くなった。
夕食はいつも完璧なバランスで、何も不足していなかった。
ある晩、母が言った。「最近、考えなくて済むの。」
その言い方は、嬉しそうではなく、ただ空っぽだった。
調和の会に参加していない人も、同じ言葉を使い始めた。
「今は違う、選ぶ時ではない、調和に反する。」
まるで、選択肢そのものが町から消えていくかのようだった。
気づくきっかけは、横断歩道の信号が青に変わった瞬間だった。
誰もすぐには渡らなかった。
一拍、二拍。
誰かが一歩踏み出すと、全員が同時に動いた。
その瞬間、確信した。
――みんな、自分で決めていない。
調和は命令ではなく、禁止でもない。
「選んでいると思わせる配置」をしているだけだ。
その後、調和の会の前を通り過ぎた。
ガラス越しに見えたのは、円形に並んだ椅子と、中央に何も置かれていない空間。
壁には、一行の文字があった。「正しさは、すでに存在する。」
その瞬間、頭の中で声がした。
――考えなくていい。
――選んでいなくていい。
――調和は常に先にある。
足が勝手に止まった。
いや、止まることが“最適解”として示されたのだ。
その時初めて分かった。
これは信仰ではない。
神でもない。
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