
若手作家、村田篤は新たな才能として注目を集めていた。彼の作品は読者を魅了し、批評家たちからも絶賛されている。「村田の文章には一切の無駄がなく、彼が意図的に生み出す曖昧さが逆に深みを与えている」と語る専門家もいるが、私にはその評価がどうにも薄っぺらく感じられた。文学とは、もっと泥臭いものであるべきだ。
村田は二十歳で文壇にデビューし、彼の作品が次々とベストセラーとなった。特に、彼が書いた短編小説集は、瞬く間に百万部を超える売り上げを記録した。そんな彼にインタビューの機会が与えられたのは、私が編集者として働く出版社でのことであった。
私がインタビュアーに選ばれた理由はわからなかった。村田の作品に共感を持つ読者が多数いる中で、彼を嫌う自分がなぜ選ばれたのかと戸惑った。だが、当時の私は、村田の作品が大衆に迎合したものだと感じていたため、彼に対する微妙な感情を隠し持っていた。
インタビューの前夜、私は編集長と飲みに行くことになった。彼は焼酎を飲みながら、村田の作品について話し始めた。「君は彼の小説をどう思う?」と突然聞かれ、私は言葉に詰まった。
「快く思っていないだろう。今の彼の地位が。」編集長は続けて言った。「嫌いだろう、村田のことがさ。」
私は血の気が引くのを感じた。自分の心情を見透かされているかのようだった。村田を嫌うことは、少数派の意見だと自覚していた。
「私もそうだよ。」編集長は苦笑しながら言った。
私たちは村田の作品が持つ不気味さや、彼を神格化する信者たちの醜悪さについて語り合った。村田の才能を認めながらも、その作品が持つ疑念についても話が弾んだ。私たちは彼を批判する中で、彼の才能に対する恐怖を感じていた。
インタビュー当日、私は村田の最新作を宣伝するポスターを目にした。彼の顔が印刷されたポスターを見て、私は思わず顔をしかめた。インタビューの緊張感が高まる中、村田と向かい合うと、彼は普通の青年であった。私の思っていた神秘的な存在とは異なり、どこにでもいるような普通の男だった。
インタビューは平穏に進み、彼とのやりとりは思ったよりもスムーズだった。だが、村田がふと呟いた言葉が私の心に引っかかった。「自分の作品に自分がいない気がする。」その言葉は、まるで彼が他者に操られているような印象を与えた。
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