
長編
京都の夜の噺
匿名 2024年7月2日
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40年以上前の話で恐縮です。
当時私は京都市内にあるD大に通う下宿生でした。
大学は市内の中心部にあったのですが、キャンパス近くの下宿は軒並み部屋代が高く、余裕のない私は市内の北の端にあるD大指定の月1万円の安下宿に暮らしていました。
この下宿は養蚕小屋を改装したものですが、それでも貧乏学生にとって月1万円の家賃は魅力であり、15部屋ありましたが、私が居た6年間は常に満室でした。
安いだけあり台所、風呂、トイレ、洗濯機はすべて共同。下宿生は苦学している人ばかりで、新しい入室者でも1か月もすれば家族同然のような付き合いができました。
あれは忘れもしない1983年の5月13日の出来事です。前日の夜9時頃から下宿生4人で日課の麻雀に興じていたのですが、半チャンが終わったあたりで誰かが「腹減ったし、牛丼食べに行かへん?」というものですから、それなら他の下宿生にも声を掛けようということになり、1人増え、バイク4台(1台はタンデム)を連ねて私のバイト先でもあった北大路の牛丼屋に向かいました。
牛丼を食べ終わり、店を出ると夜の風が心地よかったので遠回りして帰ろうということになり、普段はあまり通らない深泥池(みどろがいけ)を通って帰ることにしました。
私がしんがりを走り、深泥池のすぐそばに差し掛かった時です。先頭を走っていたタンデムのバイクから悲鳴のような急ブレーキ音がキーッと鳴り響き、大きく道の反対側にハンドルを切ったかと思うと、そのまま転倒してしまったのです。そして運転者もタンデムの人も進行方向に数メートル引きずられ、危うく池(実際には沼ですが)へ続く草むらに転落するところでした。
私も他の2台も急いでバイクを止め、先頭に駆け寄りました。
幸いにも二人ともジーパンが破れたことと擦り傷ぐらいで大したことはなくホッとしましたが、運転していた人が「あそこ、あそこ!」と指をさして叫びながら、バイクを起こしエンジンをかけ、この場を逃げ出そうとしています。何を慌てているのか理解できずにオロオロしていると、起こされたバイクのヘッドライトが指さされた方向を照らします。
そこには、頭、顔、腕と体中が血だらけになった、私たちと同じくらいの年恰好の男性が、道路に座り込んでいました。
皆思わず叫び声を上げ、バイクにまたがりこの場から遠ざかろうとしました。が、これはオバケの類ではなく、よくよく考えると、この人は事故か事件に巻き込まれたのではないかと思い、恐る恐る近づき
「どうしたん?大丈夫?」
と声をかけてみました。既に血を流しているのですから大丈夫なわけないのですが・・・するとその人は
「やられた・・・お姉ちゃん・・・」
と、ボソボソと小さくかすれるような声で呟きます。その後も色々訪ねましたが、同じことを繰り返すばかりです。とにかくこのままにはしておけないので、近くの公衆電話から119番して状況を説明し警察にも連絡してもらうようにお願いしました。
5分ほどで救急車と2台のパトカーがやってきました。警察官は4人いて、2人が血を流している人から色々聞き取りを行っています。残りの2人は私たちのバイクを調べています。1人の警察官がおもむろに「どうしたの?誰かにやられたの?」と血を流している人に聞きました。すると、その青年は私の前を走っていた友人を指さし、
「やられた・・・お姉ちゃんも・・・」
と言うのです。皆、驚きました。警察官がキッとこちらを睨みます。そして1歩1歩と近づいて来ます。何を言っているんだコイツは。何があったか知らないが、親切に通報までしてあげたのに。その後、私たちはバラバラの場所に距離を置いて誘導され、個別に事情を聞かれました。血を流した青年は、救急車で病院に運ばれましたが、その後も事情聴取は続き、約1時間半くらい経ったころでしょうか、一人の警察官に無線が入り、私たちへの聴取はそこで終わりました。
やっと私たちへの疑いが晴れ、ほっとしましたが、時計を見ると既に0時を回り、日付は5月13日の金曜日になっていました。ふとタンデムしてもらってた友人が、
「なあなあ、この京都と隣の亀岡市の間にある老ノ坂峠(おいのさかとうげ)って知ってる?夜中にあそこバイクで走ったら出るらしいで。バックミラー見たら自分の後ろに女の人が乗ってるんやてぇ。今から行ってみいひん?」
と言い出しました。
「何アホなこと言うてんねん。そんなことより、お前ら怪我してるんちゃうん。早よ下宿帰って薬塗らなあかんやろ」
と私がいいましたが、彼は
「こんなん擦り傷やん。もう血い止まってるし」
などと言い、行く気満々です。
私は、今肝を冷やすようなことがあったばかりなので、全く乗り気がしませんでしたが、何となく流れで老ノ坂峠へ向かうことになってしまいました。
老ノ坂峠は京都市中心部から五条(国道9号)を西に向かって走り、洛西ニュータウンを越えた先にある峠で、高速道路が整備されていなかった当時は、山陰と東海地方を結ぶルートとして、夜間はトラックなど物流車両の通行が多かった峠です。
老ノ坂峠に差し掛かった時には既に午前1時半頃になっていました。峠の頂上にはトンネルがあり、タンデムされている友人の話では、このトンネルを通行中にバイクのバックミラーを見ると、後ろに女の人が乗っているというのです。
「ほんならタンデムされてるお前の後ろに、もう一人乗せることになるやん。定員オーバーやで!」
などと軽口をたたき、こんな話、だれも信じていませんでしたが、それでも皆内心はビクビクしていたと思います。
先頭をタンデムした友人が走り、私はその3台後方をしんがりとして付いて行きます。トンネルに入り、後続車も先行車もなく、私たちはゆっくりと走りました。ほとんどミラーばかり見て走って行きます。
亀岡市側に出てバイクを止め、皆に聞いてみましたが、ミラーの中に女性を見た人はいませんでした。
そこでターンをし、再びゆっくりと、今度は亀岡市側から京都市に向かってバイクを走らせました。
しかし、今度もだれもミラーの女性を見ることはできませんでした。ホッとしたような、少し残念なような・・・
時計の針は2時を少し回っていました。
その後、4台はゆっくりと安全運転で無事に下宿まで帰ることができました。
下宿前の駐輪スペースに並べて止め、私たちはバイクを降りました。
「なんや、期待してたのにスカ食ろた気分やな」
そんな強がりを言いながら、バイクを振り返ると、一瞬、血の気が引く感じを受けました。
私たちは、全員125cc~400ccのバイクに乗っています。バイクは他の下宿人のものも併せて10台止められているのですが、手前の4台、つまり私たちが今止めた4台だけが、すべてタンデムステップが開いているのです。
特に、私のバイクは当時流行りのレーサーレプリカで、シングルシートカウルが装着してあり、タンデムステップは付いていても開いたことはありません。なのに・・・そして、先頭を走っていたバイクはタンデムの人が降りた後、タンデムステップを閉じるのをこの目で見ていました。
何か胸の中に冷たいものを感じ、それ以降だれもこの日のことを口にすることはありませんでした。
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