
長編
私を護るものたち
ネコ 2020年7月6日
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最初に一つ、私は霊や奇怪などそういったものを『見た』ことはありません。
それでは拙い文章ですが、まだ20年しか生きていない私の話を閲覧してください。
私はS県で生まれ育ちました。
私は霊を見たこともないのに、何度も霊障を受けそうになったことがあります。
私は母のお腹の中にいる時に、母子共に危険な状態になるという生まれることすらできなかったかもしれないとよく母から聞いていました。
ただ、母はあまり詳しくは話してくれませんでした。
数ヶ月前、私が霊体験で死にかけた時に、全て話してくれるまで生まれることすらできなかったかもしれないんだよ、としか言ってくれませんでした。
私が母に聞いたことはまた後でお話します。
私は生まれてから20歳になるまでに、5回ほど霊的なものによる体験をしています。
ざっくりとお話しますね。
1度目は3歳の時。
私は父に連れられ、公園で遊んでいました。
私が砂場で夢中になって遊んでいるので、父は砂場から5本ほどしか離れていない自販機で飲み物を買うために数秒私から目を離したんです。
その数秒に何があったのか、もちろん私には記憶にありませんが父がよく語るものですから。
父が視線を戻したら、まるで瞬間移動でもしない限り3歳児の足では到底登ることの出来ない滑り台の上にいたそうです。
その滑り台は、階段の歩幅が大きく、3歳児では絶対に登ることなんて不可能なんです。
父は登れる登れないなど考えてる暇などなく、すぐに私を滑り台から降ろしたそうです。
その時私は父に向かってでもなく『にょろにょろ』と誰もいない方面を指さして言ったそうです。
父はすぐに私を家に連れて帰り、次の日はお祓いに言ったそうです。
1回目の霊的な体験はこんな感じです。
ごめんなさい、初めてこのような文章を書くものですから読みにくいですよね。
2回目は私が小学5年生の時です。
私の母校のN小学校には放送室が2つあるんです。
改装した時に新しく放送室を作ったそうで、使われてない放送室と使っている新しい放送室の2つです。
私は当時図書委員でしたから、放送室なんかに入ったことはありませんよ。
ただ、給食の時間に、お昼の放送ってありますよね。
私、夏休み1週間前くらいのお昼の放送で不思議な体験をしたんです。
放送委員の普段と変わらないお昼の放送を聞いてたんですが、所々に『にゃあ』という感じの猫の何声が入るように聞こえたんです。
でも、『ねぇ、猫の声するよね』ってクラスメイトに言っても誰も猫の声なんてしないって言うんです。
私だけ聞こえるなんて、おかしいなって思ったんです。
当時はまだ子供でしたから、霊体験かも!とワクワクしてきちゃったんです。
だから、私は放送が終わったあとにすぐに放送室に言ったんです。
きっとあの声は猫の幽霊だ!なんて思いながらね。
でも放送室はとても綺麗に整理されていて、なんにもなかったですし、入っても違和感を感じたりしなかったんです。
きっと使ってない方の放送室だ!なんて思い込んで仲の良かった友達と一緒に、古い放送室に忍び込もう!となりました。
けど私のクラスの担任の先生、面白い人で、先生がわざわざ鍵を持ってきてくれて付き合ってくれたんです。
使ってないとはいえ、一応放送器具や線は通ってるので使おうと思えば使えるんですよ。
ただとても古くてホントにホコリだらけで汚いんです。
でも小学生にとっては面白くてちょっぴり怖い体験なんて憧れてましたから、ドキドキしながら中に入ったんです。
えぇ、いましたよ。
いた、というより、あったというべきでしょうか。
放送用のマイクの横に子猫の亡骸が。
白骨化して、皮もボロボロになった子猫の亡骸。
私はそれを見た瞬間、吐きました。
だって、信じてなかったから。
猫の声が聞こえて、まさかホントに…。
その場にいた全員何も言わずに部屋を出ました。
先生は猫の亡骸を持って、今日は帰りなさい、この子は先生がお墓作っておくから、と言って外に出ていきました。
私は落ち着くまで友達に背中をさすられていたのを鮮明に覚えています。
これが2回目です。
そして、私が3回目の霊体験をしたことがきっかけで、両親から先程述べました、私の出生について聞くことになります。
まずは霊体験の方からお話しますね。
3回目は私が中学1年生の時です。
中学生になったということで、おしゃれにも興味がでてきた私は当時、ピンキーリングにハマっていたんです。
雑貨屋で可愛いリングを見つけると、すぐに買っていました。
中でも小さなハートの細工がしてあるピンクゴールドのお気に入りのリングを休みは出かける予定もないのにつけていたんです。
これも夏だったと思います。
休みだったので、私はまたお気に入りのリングをつけていました。
家ですることもなく、暑かったので近くのコンビニでアイスを買いに行こうと思い、家を出ました。
その時、『ガルル…』という犬の唸り声の様なものが聞こえました。
でも近くに犬を飼ってる人もいませんでしたし、無論私も犬なんて飼っていません。
空耳かな、と思いながら私はコンビニに向かいました。
近くのコンビニまで横断歩道を渡らないと行けないのですが、その横断歩道までの道中、指輪が割れました。
しかもその破片で指を少し深めに切ってしまいました。
ちなみにその時の傷跡はまだ残っています。
私は手当をするために、一旦家に戻ることにしました。
家に着いたその時です。
キキーッという車のブレーキ音の後に爆発するような音が聞こえてきました。
私は訳が分からず、びっくりして家を飛び出してきた母とぶつかりました。
母は私の指の怪我を見て、家の中に戻り手当してくれました。
そして2人で音がした方へ向かいました。
すると、横断歩道で車が電柱に激突していました。
私は吐きました。
だって、私が指を怪我しなければ丁度音が聞こえた時間私は横断歩道にいたはずだったから。
恐怖のあまり腰が抜けそうになった時、左手に奇妙な感触がありました。
なんとも言い表せないような、不思議な感触です。
でも不思議とその感触があった後、私は落ち着きを取り戻しました。
吐いた私に理由を尋ねる母に、リングが割れて指を怪我しなければ私は事故があった時そこにいた。
と、伝えました。
そしたら母は神妙な面持ちで私の手を引いて家に戻りました。
そこで、先程述べた出生について、教えてくれました。
ここからは両親から聞いた話になります。
私が生まれることすらできなかったかもというのはお話した通りです。
母も危ない状態になり、この子は諦めなさいと医者に言われるくらいでした。
そんな所へ、母方の親戚の方がお見舞い来ました。
嫌な予感がするから来たと。
実はその親戚の方、神主さんなんです。
その方、かなり視える方で、この後私は何度もお世話になりました。
その方が言うには、この子(私)は霊媒になるにはうってつけの体質をしてしまっている。
普通、魂には色がありその色に守護霊が憑いてくれるとのこと。
ただこの子(私)には魂の色がない。
透明という訳ではなく色がない。
そこに魂はあるのに視えない。
そう言うのです。
だからこの子(私)は今生まれてもいないのに霊媒にされて母も危険な状態なのかと、父が聞いたところ。
違うという。
確かに色はないが、守護霊的なものは確かにいる。
いるが、強すぎる。
そして人間ではなく獣の類いであり複数いると。
子の守護霊が強すぎて、母の守護霊が負けてしまい、母が守られなくなった為危険なのだと。
そこで神主さん(以下Aさん)は御札と御守りを母に渡しました。
それは子の守護霊を少し大人しくさせるものだから、産まれるまで持っていなさい。
そして産まれたら必ず奉納しなさいと。
そういってAさんは軽いお祓いをして帰っていきました。
その後も少しトラブルがありましたが、私は無事に産まれ、言われた通りに御札と御守りは奉納しました。
それを聞かされた私は全く信じようとしませんでした。
目に見えないものに守られたりなんてありえないだろうと、普通の人間ならそう思いますよね。
でも、獣の類いの守護霊、という単語を聞いて皆様も分かったと思います。
私が家を出た時に聞いた犬のような唸り声。
あれはもしかしたら警告だったのかもしれないと、少し思っています。
さて、私の出生についての話は以上です。
続いて、4回目、5回目の霊体験についてお話しますね。
4回目は翌年の中学2年生の夏休みです。
私は山間部に住んでいましたから、私と3人の友達と一緒に山にある天文台で星を見ようということになりました。
友達のお父さんが車でそこまで連れていってくれるとのことで、私達は天文台に向かいました。
ただ、天文台に着いたのはいいのですが、実はその日は定休日で天文台は閉まっていたんです。
ガッカリしながらも、山の頂上付近まで車で行けそうだったのでどうせならそこで星を見ようということになりました。
ただ、私は天文台を過ぎたあたりからずっと頭が痛かったです。
夏の夜は多少涼しいとはいえ、震えるほどではないのに私は異様に寒がっていたのを覚えています。
頂上付近まで着いた時には、もう車から降りる気力もないほど体調が悪くなっていました。
なので、私は車に残りみんなは頂上へ歩いていきました。
ひとりになって10分くらい経った頃でしょうか。
尋常じゃない程寒くなってきたのです。
まるで金縛りにあったかのように動くことすらできなくなりました。
私は必死に目を瞑り、震えていました。
『助けて』無意識に口から出ていたんです。
その時、フワッと温かいものが私の全身を包みました。
目を瞑っていたので、見えはしませんでしたが何かの息遣いが一瞬だけ小さく聞こえました。
ここで両親から言われたことを思い出しました。
獣の守護霊です。
あぁ、守られてるんだなと思い安心感が込み上げてきました。
それと同時に他のことを考える余裕もできたせいか、急に頂上へ向かっていった友達のことが心配になりました。
ここには何かがいる。
霊的なものを信じてはいませんでしたがそう思わざるを得ませんでした。
『皆も守って』また無意識に喋っていました。
すると頬に柔らかな毛のような感触が一瞬した後、車のドアが開きました。
みんな息を切らして帰ってきたんです。
どうしたのか尋ねると、動物の足音が聞こえて襲われたら怖いので逃げてきたと言っていました。
その時私は完全に体調も良くなっており、帰りはみんなで喋りながら帰りました。
家に着いた時に父にI山で星見てきたよと言いました。
そしたら父は驚いた顔をしました。
だって、その山1か月前に複数の自殺者が見つかって閉鎖されていたはずなんですから。
でも閉鎖の看板なんかは一切なかったことを伝えると、誰かがイタズラに撤去しちゃったのかもね、とだけ言いました。
あぁあの時の嫌な感じや頭痛や寒気はそれが原因か、と1人で納得していました。
そして獣の守護霊が守ってくれたんだなと。
その後、私は一応お祓いの為にAさんの所へ尋ねました。
Aさんに会うのは3歳の時以来です。
Aさんは私を見るなり『何かあったね。霊に入られかけた痕がある』と言ってきました。
私は驚いて、起こったことを話しました。
そしたらAさんは頷いて『(私)ちゃんの守護霊ね。強いよ。神様のお使いが憑いてくれてる。お狗様かな。いや、狼に近いかもしれない』と興奮した様子で話しました。
そして私に一つ問いかけました。
『(私)ちゃん。海は好き?』
私は驚きました。
山間部で育った私は物心着いた時から海に対して強い憧れを抱いていましたから。
だから高校も海に関わる高校に入ろうと決めていたし、就職も船にしようと思っていましたから。
私は頷きました。
『だよねぇ。だってさっき神様のお使いって言ったでしょ?その神様は多分だけど海に関わる神様だと思うよ』と言われました。
そんな事まで分かるのかぁと、感心しながら私はお祓いを受けて帰りました。
その時に、何でもいいからアクセサリーを身につけておくといいよ。ミサンガでもネックレスでも。と言われました。
危険が迫った時、守護霊達がそのアクセサリーを通して教えてくれるから。と。
以上が4回目の霊体験です。
次が最後になってしまいますね。
最後言えどあまりインパクトは強くありませんよ。
ではお話します。
私が高校2年生の冬の頃です。
これが1番新しいものです。
私は希望通り海洋学校へ通っていました。
女性の航海士って何だかカッコイイじゃないですか。
だから私は一生懸命勉強をしていました。
帰りが遅くなることなんて毎日でしたよ。
でもそれだけ勉強が楽しくなっていましたからね。
だから、暗い帰り道を歩いて帰るのは当たり前の事でした。
でも、その日は今でもトラウマなくらい酷い日でした。
いつもの暗い帰り道、私は襲われました。
といっても未遂です。
制服は破られ、口を押えられて。
一瞬で絶望感を味わいました。
でも、フッと口を押えられていた手が離れたかと思うと、襲ってきた人はヒッと声を上げて逃げていきました。
その手に、大きな噛み跡が見えたのを覚えています。
私の頬にいつかの温かい感触がしました。
あぁまた守ってくれたんだと安心し私は大泣きしました。
幸い、近くにいた女性が通報してくれ、服も貸してくださいましたから。擦り傷だけで済みました。
警察の人にも最後までされなくて良かったね。と言われました。
もちろん犯人は捕まっていませんが、それ以降私は帰りはバスを使う事にしましたよ。
これが、記憶にある中で1番新しい霊体験です。
最後のは霊と言うより守護霊に守られたお話ですが。
私は生まれ持った霊媒になりやすい体質と向き合いながら生きるしかありません。
ですが、不思議と怖くはありません。
なぜなら私は強い狼のような複数の守護霊に守られているから。
これからもきっと不可解な体験をするでしょう。
また何か起こりましたら、ここでお話させて頂きますね。
拙い文章でしたが、ここまで見てくださってありがとうございます。
私は『見た』ことはありません。
でも、感じることはあります。
この怖い話はどうでしたか?
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