
長編
かんひも
匿名 9時間前
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」と、
障害を持った子供が生まれて来ることが多くありました。
今のように科学や医学が発達していない時代。
そのような子たちは「凶子(まがご)」と呼ばれて忌まれていたようです。
そして、凶子を産んだ女性も、「凶女(まがつめ)」と呼ばれていました。
しかし、やはり昔のことで、凶子が生まれても、
生まれてすぐには分からずに、
ある程度成長してから、凶子と分かる例が多かったようです。
そういう子たちは、その奇行から、
やはりキツネ憑きなど、禍々しいものと考えられていました。
そして、その親子共々、
集落内に災いを呼ぶとして、殺されたそうです。
しかも、その殺され方が、
凶女に、わが子をその手で殺させ、
さらにその凶女もとてもひどい方法で殺すという、いやな内容でした。。
あまり詳しいことは分かりませんでしたが、
伝わっていないということは余程ひどい内容だったのではないでしょうか?
しかし、凶女は、殺された後も集落に災いを及ぼすと考えられました。
そこで、例の「かんひも」の登場です。
「かんひも」は前にも書いたように、「髪被喪」と書きます。
つまり、「髪」のまじないで「喪(良くないこと・災い)」を「被」せるという事です。
どうやら、凶女の髪の束を使い、凶子の骨で作った珠で留め、特殊なまじないにしたようです。
そしてそれを、隣村(といっても当時はかなり離れていて交流はあまり無かったようですが)の
地に埋めて、災いを他村に被せようとしたのです。
腕輪の形状をしていたものの、もともとはそういった呪詛的な意味の方が大きかったようです。
また、今回の物は腕輪でしたが、首輪などいろいろな形状があるようです。
しかし、呪いには必ず呪い返しが付き物です。
仕掛けられた「かんひも」に気がつくと、
掘り返して、こちらの村に仕掛け返したそうです。
それを防ぐために生まれたのが道祖神「阿苦」です。
村人は、埋められた「かんひも」に気づくと、
その上に「阿苦」を置いて封じました。
「阿苦」は本来「架苦」と呼ばれており、
石碑に刻まれた人物に「苦」を「架」すことにより、
村に再び災いが舞い戻ってくるのを防ごうと考えたのではないでしょうか。
そして、その隣村への道が、
ちょうど裏山から続いていたそうです。
時の流れの中で、
「かんひも」は穢れを失って、
風化していったようですが、
例の「かんひも」はまだ効力の残っていたものなのでしょうか?
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- 凶子が生まれるのは村全体がそういう結婚の仕方しかないからで、その子供も母親も悪くないじゃん。まりりん
- 子供って女だけで作れるものではないのにね 男の存在はどうした?名無し
- 生まれた凶子は忌まれ、凶子を生んだ女性も凶女と呼ばれ、母子ともに◯される…。 …父親は?匿名
- こういう怖い話大好き。 じわじわ来るね。名無しさん
- 公衆電話のテケテケの幽霊の話かと思ったまなちゃむ