
去年の秋、夜勤のある介護施設に勤めていた頃の話です。
住んでいたのは、海に近い古い集合住宅でした。宅配便は玄関まで来ず、住人が一階の保管室から自分で荷物を取る決まりでした。保管室には暗証番号式の扉があり、荷物を入れると小さな金属札が発行されます。
ある雨の日、夜勤明けに荷物を取りに行くと、保管室の前に女の人が立っていました。年齢は五十代くらい。紺色の上着に、首から何も書かれていない札を下げています。
「番号札、見せてください」
言われるまま、私は金属札を差し出しました。女はそれを確かめるように眺め、返してくれました。その間、手元からカチ、カチ、と乾いた音がしていました。爪で何かを叩いているような音です。
管理会社の人だろうと思い、私は荷物を受け取って帰りました。
それから女を、保管室の前で何度か見かけました。住人が荷物を取りに来ると番号札を確認し、扉の使い方を注意する。声をかけても、必要なこと以外は話しません。あの音だけが、いつも指先から聞こえました。
ある朝、子どもを抱いた若い男性が保管室から出てきたところで、女が「札を返してください」と強い口調で言いました。男性は困った顔で、これは自分のものだと説明していました。
「この人、管理会社の方ですか?」
私が尋ねると、男性は小声で「知らないです。でも、ずっといるんですよ」と答えました。
その途端、女がこちらを向きました。指先の音が、カチ、カチ、と二度鳴りました。
気味が悪くなりましたが、結局、管理会社に確かめることはしませんでした。荷物を取るだけなら、関わらなければいいと思っていたのです。
数日後、出張の前夜に宅配便の通知が届きました。翌朝は早く出るので、その日のうちに受け取ろうと、夜遅く保管室へ向かいました。
扉の暗証番号を押すと、中から、カチ、カチ、と音がしました。
女がいる。
そう思った瞬間、扉が内側から少しだけ開きました。隙間の向こうは暗く、床に荷物の緩衝材が散らばっています。誰かが中にいる気配がしました。
私は「すみません」と声をかけました。返事はありません。
代わりに、あの音がすぐ近くで鳴りました。カチ、カチ。金属を歯で噛んでいるような、湿った響きも混じっています。
扉を押し戻して、私はそのまま部屋へ逃げました。翌朝は保管室を見ないようにして出発しました。
三日後に戻ると、集合住宅の入口に警察がいました。あの若い男性もいて、私を見るなり警察官に何か話しました。
後日談:
後日談はまだありません。
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