
路線バスの運転手をしている。町から山の上の展望所までを結ぶ路線で、終点の展望所は二年前に閉鎖された。道が狭く、夜は鹿も出るので、今では昼間の一往復しか走らない。
それでも、昔からの時刻表を直しきれなかったのか、深夜に一便だけ、展望所の手前にある旧料金所まで走る便が残っていた。乗る人はほとんどいない。
最初にその女性を乗せたのは、八月の終わりだった。夜の十一時半。雲ひとつない空で、道路の白線がヘッドライトにくっきり浮かんでいた。
停留所に人影が立っていたので、私はバスを止めた。
二十代くらいの女性だった。薄い色のワンピースに、手提げ袋を一つ。時刻表を確かめる様子もなく、乗り込むなり「旧料金所までお願いします」と言った。
「そこは終点じゃないですよ。降りたあと、歩くことになります」
「大丈夫です」
声は静かで、妙に聞き取りやすかった。
旧料金所までは三十分ほどある。私は運転に集中した。ミラーを見ると、女性は窓の外を見ていた。山道に入ってからも、ずっと同じ姿勢だった。
「こんな時間に、あそこへ何をしに?」
つい尋ねると、女性は少し間を置いて答えた。
「前に、ここから見た景色が忘れられなくて」
その言い方が、観光客にしては少し古い感じがした。
旧料金所で降ろすと、女性は運賃箱に硬貨を一枚入れた。整理券は取っていなかった。降りたあとも、彼女は展望所へ続く暗い道を歩いていった。
翌朝、運行所で回収した整理券箱の底に、見慣れない券が一枚あった。印字された番号は「0」。そんな番号は使っていない。機械の故障だろうと思い、私はそれを事務机に置いた。
数日後、新聞に小さな記事が載った。山の旧展望所近くで、若い女性の遺体が見つかったという。身元は町外の二十七歳。死因は転落。記事には、発見場所が旧料金所から歩いて数分の斜面だとあった。
写真はなかった。けれど、記事を読んだとき、あの夜の乗客が頭に浮かんだ。
その週の終わり、私は同じ最終便を運転していた。窓を開けると、熱の残った空気が流れ込んでくる。あの整理券は、机の引き出しにしまったままだった。
いつもの停留所に、また女性が立っていた。
私はブレーキを踏んだ。服も手提げ袋も、前と同じに見えた。
「旧料金所まで」
彼女はそう言って、後部座席に座った。
「この前も乗りましたよね」
返事はなかった。
「あなた、新聞に出ていた人じゃないですか」
そこでようやく、女性がミラーを見た。
「新聞に、名前は載っていましたか」
「載っていました」
「そうですか」
後日談:
後日談はまだありません。
この怖い話はどうでしたか?
chat_bubble コメント(0件)
コメントはまだありません。



