
冬の朝、熱を出して仕事を休んだ。
一人暮らしなので、誰かにうつす心配はない。姉に電話でそのことを伝えると、「薬を飲んで、今日は寝てな」と言われた。姉は隣町に住んでいるが、仕事があるから来られない。
電話を切ってから、布団に戻った。
この部屋の換気口は古く、風が強い日は笛みたいな音がする。けれど、その朝は晴れていて、窓の外の木もほとんど揺れていなかった。
それなのに、壁の上の換気口から、こつ、こつ、と小さな音がした。
誰かが指先で叩いているような間隔だった。気にしないようにして目を閉じると、音は止まった。
少し眠って、目が覚めた。
体が動かなかった。
金縛りだ、とすぐに思った。以前調べた通り、意識だけが先に起きている状態。そう言い聞かせていると、換気口の奥から、姉の声がした。
「薬、飲んだ?」
電話で聞いた声と同じだった。
もちろん、姉がここにいるはずはない。そう考えた瞬間、声がまた言った。
「返事して」
私は声を出せなかった。姉の声は、換気口の奥からではなく、部屋のドアのすぐ外から聞こえた。
続いて、玄関のインターホンが鳴った。
この部屋のインターホンは壊れていて、ボタンを押しても音が出ない。管理会社に伝えたのは先週のことだ。
それでも、もう一度、音が鳴った。
「起きてるんでしょ」
姉の声がした。
動け、と思った。枕元のスマートフォンに指を伸ばしたつもりだったが、腕は布団の上からぴくりとも動かない。
ドアの外で、鍵穴に何かを差し込むような音がした。
そのとき、ようやく指先が動いた。私はスマートフォンをつかみ、画面を点けた。姉からメッセージが届いていた。
『さっき電話したあと、すぐ仕事に入ったよ。今日は行けないからね』
送信時刻は、今から一分前。
ドアの外の声が、少し低くなった。
「ねえ。開けて」
私は声にならない息を吐きながら、スマートフォンを握りしめた。やっと体が動いたのは、ドアノブがゆっくり回り始めたときだった。
私は布団から転がり落ち、玄関とは反対側の窓へ逃げた。鍵を外して、ベランダに出る。寒さで熱のある体が震えた。
少しして、スマートフォンが鳴った。姉からの着信だった。
「ごめん、さっきのメッセージ変になってない? 休憩に入ってから送ったんだけど」
私はベランダから部屋を見た。ドアは閉まったまま。インターホンのランプも消えている。
姉に何が起きたか説明しようとして、やめた。
換気口の奥から、こつ、と一度だけ音がした。
その直後、姉が電話の向こうで言った。
後日談:
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