わたしは海運系のフォワーダーに勤めるごく普通のサラリーマンである。勤務先は海上コンテナの運賃販売にはタッチせず、ひたすら通関のみを専門に請け負う中小企業だ。通関専門というのはますます総合物流化の著しい昨今、業界の中ではちょっと珍しい。
総合物流は便利には違いない。フォワーダーの担当窓口にこれこれこういう貨物を輸出したいとだけ伝えれば、船社の手配から船積みまで一貫してやってくれる。電話一本で輸出完了である。ひとつ難点があるとすれば、料金の不透明性――平たく言えば『高い』のだ。
外国人荷主は利便性よりコストを極端に重視する傾向がある。彼らはパキスタンなりスリランカなりの発展途上国から単身で日本に渡り、片言ながらも日本語を覚え、文法のメチャクチャな英語を操り、自転車操業で冷や汗を流しながら中古車輸出に取り組んでいる。連中の辞書に『どんぶり勘定』の文字はない。安さが正義であり、安さこそがすべてなのだ。そこにうちのような弱小中小企業のつけ入る隙がある。
以下に記すのは、わたしが担当したとある外国人荷主の末路である。外聞をはばかる内容かもしれないが、誰かに読んでもらうことで肩の荷を下ろしたい気持ちを抑えきれなかった。わたしはこの記録を通して、彼に許しを乞いたいのだ。
* * *
アブドゥール・モハメドさんとの取引が始まったのは、かれこれ3年以上前になる。パキスタン出身の30代男性、色黒で恰幅のよい体型をしており、片言の日本語でまくしたてる底抜けに明るい好人物だった。モハメドさんとの取引を決意したのは、多分に彼の楽天的な部分に惹かれてのことだったのだろう。
うちとの取引が始まるまで、彼は中古車のバンニングヤードで下働きをしていたのだが、培ってきた人脈を活かして一念発起、独立した。日本車は丈夫で故障が少なく、なおかつ安い。当然、世界中から引き合いがある。そうした需要を満たすべく、海上コンテナに車を積み込み(これをバンニングと呼ぶ)、輸出して利ザヤ(とリサイクル券還付)をとるのが中古車ビジネスである。
1 / 6
モハメドさんは自社ヤードを持たず、中古車バンニングを他社へ委託する形で利益を上げる完全仲介型の輸出者だった。このスタイルは初期投資費用がかからない分、利幅は少なくリスクも大きい。常に仕入れ先への支払いに追われ続け、そのいっぽう荷主からの入金は遅れがちだ。事業は危ういバランスの上に成り立っており、天秤がどちらかへ傾けば即、資金はショートする。
実際、そうなった。取引が始まって2年も経たないうちに。
終わりの見えない取り立ての日々が始まった。
* * *
「払う払う。ワタシマジメネ」
これがモハメドさんの口癖だった。うちの会社は比較的温和なほうで、支払いの意思があるのなら法的措置までは検討せず、地道に少しずつ払ってもらうだけにとどめていた。2~3か月に一度、数万円程度の少額を返済してもらっていたのだが、焼け石に水であった。債権総額はその数百倍はあったはずだ。
こうした細々とした返済もやがて滞り始める。3か月に一度はコンスタントに入金されていたのが4、5、ついには半年まで間延びし始めた。入金額も1万円を下回り、早晩モハメドさんが尻をまくって出奔するのは目に見えていた。
* * *
モハメドさんの未返済期間が7か月に達したあたりで、堀田総務部長に会議室へ呼び出された。
総務部長は経理関係の責任者を兼任しており、営業部の入金状況は彼が一手に管理している。薄く色の入った眼鏡に縮れ系のパーマという風貌で、とても堅気の務め人には見えない。
「なんで呼ばれたかわかるか」
「モハメドさん案件の残債回収についてですよね」
「わかっとるならはよ回収せんかい」
総務部長は大阪出身で、前職は金融関係畑だったと聞いている(ノンバンク系の消費者金融であった由)。そのせいか人一倍取り立てには厳しい人物で、焦げ付きは1円たりとも許さないというもっぱらの噂だった。
「支払いの意思はあるようなんですが……」
「支払いの意思があるならなんで入金が遅れとるんや。意思なんかどうでもええねん。行動で示すべきやろ」
「ない袖は振れないんと違いますかね」
総務部長が舌打ちとともに長々とため息をついた。わたしはこの場から一刻も早く逃げ出したくなった。部長はタバコの煙を盛大に吐き出し、デスクの引き出しから小さな長方形の紙切れを取り出した。
「ここに電話せえ」
2 / 6
渡されたのは名刺だった。会社名は大阪市某所にある〈渋沢興業〉とあり、担当者の名前は桑原某氏で、肩書きは〈債権回収課 課長〉となっていた。不吉な予感がした。名前からして堅気の会社ではない。
わたしは名刺を食い入るように見ていたと思う。何度も名刺と部長の顔を見比べた。「自社での回収を諦めるんですか?」
「それに誰かさんが失敗したから、人さまに頼るんやないか」
そこを突かれると痛い。それでも食い下がった。
「それは申し訳ないんですけど、この〈渋沢興業〉言うんは……」
「ええから電話せえ。武士の情けで最後通告だけはしたれよ」
* * *
予告なく債権を他社へ売却するのはさすがに道理に悖るということで、1か月の猶予を与える仕儀となった。
モハメドさんへ①耳をそろえて全額支払うか、②他社へ債権を売却するかどちらかになる、と伝えると、例のごとく「払う、払う。ワタシマジメ」と適当な返事が返ってきた。
おそらく彼はうちの会社が本気で債権の転売などするはずがない、と高をくくっていたのだろう。
1か月後、予想通り1円も入金されずに期限日がすぎた。わたしは重苦しい気分を振り払い、渋沢興業とやらいう怪しげな会社に電話をかけた。
* * *
市外局番の06から始まる番号に電話すると、ワンコールめで即座に出た。ほとんど怒鳴っているような声量だった。
「渋沢興業!」
「こちら**海運と申しますが、桑原さんはおみえでしょうか」
「……どんなご用件すか」
総務部長の名前(堀田)を出し、彼の紹介で桑原氏に債権回収を依頼したい旨を告げた。相手は保留にしないまま大声で桑原氏を呼びつけているようだった。「桑原さん、整理の仕事みたいっすよ」、「誰からや」、「ようわからんのですわ、なんとか海運とか言うてますねん」、「ドアホ、おどれは電話の取り次ぎひとつできへんのか――」。
いい加減電話を置きたくなったあたりで取り次がれた。
「えらいお待たせしてすんまへんな。堀やんの紹介で電話してくれはったとか」
〈堀やん〉はうちの総務部長のことだと気づいた。どんな因縁があるのか不明だが、部長と桑原さんは昵懇の仲であるらしい。
「そうです。焦げ付いた債権を売りたいんですが」
「そらよろしいな。早速承りまひょ」
詳しい状況を説明し始めると、桑原氏は途中から何度ももうええ、もうええとくり返し、詳細をぶった切ってしまった。
3 / 6
「先方の連絡先と住所。それだけあれば十分ですわ。残債になっとる請求書だけ送ってくれたら、あとはこっちでやっとくさかい」
わたしは勇気を出して聞いてみた。
「買値はいくらになるんでしょうか」
「堀やんの紹介やから、色つけさせてもらいまひょ。簿価の15パーセントでどうですやろ」
わたしは思わず「えっ」と驚きの声を上げてしまった。回収困難な不良債権の場合、高くても10パーセント前後が相場である。
「安いでっか? 兄さんも商売人やなあ、かなわんわ。ほな17.5パーセント! もうこれ以上はびた一文無理でっせ」
最初に提示された15パーセントで十分だったのだが、売り手側が安値で構わないと言い張るのもおかしい。あたふたしているうちに、念を押された。
「17.5で決まりでよろしいね?」
「そんな高額で買い取ってもらって、えらいすいません。あの、契約料金が口頭ではなんですから、メールで買い取り利率を送ってもらえますかね」
電話越しですら、桑原さんの雰囲気がガラリと変わったのがわかった。
「わしが契約を履行せえへんかもしれん。アンタ、そう言わはりますのか」
なんと返答してよいのかわからずにいると、さらに畳みかけられた。
「よろしいか、わしが17.5パーセントで買うたる言うたら絶対に誤魔化しはないねん」
総務部長からいくらで処理しろとは言われていない。適当に二つ返事で了承した。
もうこれ以上、渋沢興業とも桑原さんとも関わり合いになりたくなかった。
請求書の束を送った翌日、きっちり17.5パーセント分の入金があった。入金先会社名が渋沢興業ではなく、聞いたこともない企業だったのは気になったが、総務部長はよくやったとご満悦だった。
彼がいいならわたしも本件を蒸し返すつもりはない。債権がいくらで売れようが、どのみち給料が増えるわけでもない。
こうしてアブドゥール・アビドさんの債権処理は終わった。
そう思っていた。
* * *
数か月後、繁忙期で連日残業が続いていた時節だったと記憶している。
深夜22時ごろ、静まり返ったオフィスに電話の音が鳴り響いた。この日はたまりにたまった中古車輸出案件を抱えてパンク寸前で、わたし1人だけが残って書類作成に追われていた。
出るかどうか迷った。この時間帯にかかってくる電話だ、朗報であるはずがない。未通関コンテナがあるだの、危険品明細書類が未提出で船積みができないだのといったトラブルに決まっている。それも他人案件の。
4 / 6
とはいえタイムカードの退勤時間と電話の受信時間を比べれば、早晩居留守はバレてしまう。電話に出ないことでコンテナが不積みにでもなれば責任問題になる。渋々受話器をとった。
「はい、**海運です」
「夜分すいまへんな。こないだパキスタン人の債権売ってもろた兄ちゃん、いてはりますか」
相手は名乗らなかったが、渋沢興業の桑原さんだとすぐにわかった。心拍数が跳ね上がる。絶対にロクな用事ではない。
「わたしです。どんなご用件でしょうか」
相手が海の近くにいるのか、波の音がしきりに聞こえていたのを覚えている。
「遅うまでご苦労さん、そうビクビクせんでもええがな」桑原さんは電話口で愉快そうに笑った。「パキ野郎のモハメドのことなんやけどな、なんや知らんアンタと話したい言うねん。そやし、ちょっと時間もらえんか」
こちらが了承する前に、モハメドさんの声が耳に飛び込んできた。
「なんで勝手にワタシの借金、売った」
電話口からは荒れた海を想起させる、波しぶきのような音が絶えず聞こえてくる。そのせいで聞き取りづらいのだが、債権整理に対して怒っているらしいことはわかった。
モハメドさんは難しい日本語の語彙を解さないので、逐次英語を混ぜつつ説明した。売却予告はしたこと、モハメドさんからの入金が期日までになされなかったこと、上司の指示であること――。
「ワタシ、マジメ。少し払ってた。逃げなかった。なんで売った」
わたしは説明を簡潔にくり返した。彼は聞く耳を持たず、壊れたレコーダーのように「なんで売った」を連呼している。
答えるべき言葉が出てこない。ただひたすら、彼の気が済むのを待ち続けるしかなかった。
唐突に「なんで売った」がやんだ。波の音が途絶え、一瞬だが通信状況がクリアになる。モハメドさんは1秒強ほどの短いセンテンスを、母国語と思われる言語でゆっくりとしゃべった。
ウルドゥー語だったのかパシュトゥン語だったのか、知る由もない。なにを言ったのかはいまもわからない。ただ意図だけは明確に伝わった。
わたしに対する、底知れない呪詛と怨嗟。
直後、電話が切れた。
かけ直してくることはなかった。当然、こちらからかけ直すこともしなかった。
わたしは明日カットの輸出案件を放置したまま、逃げるように帰宅した。
* * *
数週間後、日本海側の某断崖絶壁の海岸で、身元不明外国人の遺体が発見されたというニュースが目に飛び込んできた。
5 / 6
反社会的勢力が債権回収にあたる際、わたしは原則、債務者が殺されるケースはないものと思っていた。
債務者から徹底的に絞りとり、出がらしになった雑巾をさらに絞って湿度0パーセントまで持っていく。それが彼らのやり方であり、その結果債務者が絶望の果てに自殺することはある。だが殺してしまっては元も子もないはずだ。
高額の生命保険を債務者にかけ、事故に見せかけて殺害し、保険料を受け取ることで債権回収にあてるのは非現実的である。
どれだけ巧妙に事故を装おうとも、赤の他人が受取人になっていれば保険会社は疑義を抱く。徹底した調査がなされる。不審な点があれば警察に通報される。ひとたび警察組織が動けば、杜撰な殺しなどたちどころに露見してしまうだろう。
反社が堅気を殺した場合の量刑は、同じ殺人罪でも段違いに重い。10年以上食らいこむのは覚悟せねばならない。
モハメドさんの債務は三百万円もなかった。たったこれぽっちのために殺人を犯すのはリスクが高すぎる。そう思っていた。
しかし、こんな考察は所詮堅気の考え方にすぎない。
モハメドさんの(だと思われる)遺体が発見されたというニュースを見てから、さんざんこのことについて考え抜いた。
もし自分が債権を買った反社なら、どうやって17.5パーセント以上の利益を上げるだろうかと。
親兄弟を保険金の受取人にしておき、彼らが死亡給付を受けたその日から追い込みをかける。
他の消費者金融から借金させて返済に当たらせる。
死亡保険の自殺免責条項をかわすため、事故にみせかけた自殺を強要する。
素人のわたしが考えついただけでもこれだけある。犯罪のプロである反社なら、1ダースは手段を用意できるだろう。
十中八九、モハメドさんは殺されている。
死の間際、わたしに抱いた恨みの深さはいかほどだったろうか。
総務部長へは一部始終を報告した。彼は煙草をふかしながら、「さよか」とつぶやいただけだった。
* * *
つい先日、ニュースになった海岸へ出向き、花束を供えてきた。
直接手を下したわけではないが、責任の一端はわたしにもある。
無神論者であるわたしにとって、この行為は供養ではない。ただの自己満足にすぎない。
それでもやらずにはいられなかった。
モハメドさん、どうか恨まないでください。
図々しく感じるだろうが、読者も彼のために祈ってやってほしい。
少しでも、彼の怨嗟が晴れることを願って。
6 / 6