
長編
夜の白出沢遡行
しもやん 2019年6月2日
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俺は登山をする。歩くときは10時間くらい山中にこもってたりもする。
俺の場合、登山は単なる趣味であって、ライフワークなんかではぜんぜんない。山が好きというわけでもないし、温泉の薬味程度に考えているというのが本当のところだ。
それでも命は惜しいので、それなりに勉強したり体力づくりをしたりはしている。山に入る前から計画を立て、何時までに下山するというおおまかな予測も立てる。とはいえそうした優等生的準備が億劫になるときもある。
1年前の夏、恒例の穂高参りに出かけた。山屋のなかには北アルプス絶対主義者というのがいて、穂高とか槍以外は山にあらず、なんてことを言いだす輩もいる。俺はそこまでひどくはないものの、やっぱり穂高岳は好きだ。その夏も奥穂岳(3,190メートル)目指して新穂高温泉から入山した。
俺はもう、奥穂には何度も登っているし、岐阜県側からのアプローチも通ったことがある。そうなるといきおい計画もなおざりになって、しまいにはナイトハイク前提になってしまい、出発は14:30という、考えられないほどずさんな山行となった。
長い林道を歩き通し、白出沢出合に着いたのが16:30。ふつうの山屋はとっくに山小屋なりテン泊なりしている時間帯だが、俺はこれから標高差2,000メートルをやっつけるのである。自信はあった。まったく愚かだった。
沢を詰めはじめてすぐ、天候が崩れ出す。途端に猛烈な土砂降りに見舞われた。慌ててレインコードを取り出してかぶる。最初はどうということもなかったのだが、夏とはいっても北アルプス、2,000メートル以上ともなれば気温は涼しいを通り越して寒いくらいだ。それに加えて雨。ぐんぐん体温が奪われていくのがわかった。
18:00ごろ荷継沢を横断、ここからは足元の悪いガレ場が一直線に、標高3,000メートル付近の白出のコルまで続いている。この登りは前回通ったときもかなり手こずった記憶がある。とはいえここを登り切らないと山小屋はないし、途中にテントを張れるようなスペースはまったくない。一度登り出したが最後、やり切るしかない。
登りは困難を極めた。雨のせいで体温が奪われ、日没により道がまったくわからない。さらに悪いことに濃い霧が出てきて、あたりは白亜の迷宮と化した。ヘッドランプの光輪は霧で乱反射して使いものにならず、1メートル先も満足にわからないようなありさまだった。
何度もルートをロストし、慎重にもときた道へ引き返す。この霧だと一度迷ったが最後、正規ルートに戻ってこられる可能性は低い。すでに体力を消耗し、雨によって体温も下がっている。真夏の高峰で低体温症になって死ぬ山屋を俺は見下していたけれども、このときばかりは事情がわかった。震えが止まらない。身体機能が目に見えて低下していくのがわかる。
どれくらい登っただろうか。たぶん19:30くらいだったろうか。俺は幻覚を見始めた。それまでははるか遠くに見えていた穂高岳山荘の灯りが、不意に目の前に移動してくる。まばたきをすると山荘は姿を消している。するとまたもや山荘が数10メートル先に見えた。近づいてみると、それは単なる巨岩だった。
本格的にまずいな。携行していたチーズをかじりながら、まだそんなことを考える余裕は残っていた。雨は止んだけれども、そのぶん霧の濃さがますますひどくなり、岩に描かれたマークを追うのが非常に困難になってきた。ビバークを考えなかったわけじゃないが、傾斜がきつすぎる。とてもテントを展開できるスペースはないし、そのまま横になれば風と雨で低体温症になるおそれがあった。白出のコルまで登りきるしかない。
正確な時刻はわからないが、たぶん20:30くらいだったと思う。永遠にこの地獄が続くような錯覚と戦ってた俺の目前に、濃霧から登山パーティがまったくだしぬけに現れた。彼らは幻覚にしては強烈なリアリティがあった。手を伸ばせば触れられるのではないかと思ったほどだ。
道はたいへん狭く、すれちがうにはどちらかが脇へ避けねばならない。俺はばかげていると思いつつも、山側の岩に背中をつけて道を開けた。すると先頭のおっさんが顔を上げて、「どうもすいません」と確かにしゃべった。
ここで初めて俺は彼らの姿をしっかりと観察した。べつにザクロみたいに頭が割れているとか、身体のあちこちが欠損しているとか、そんなことはなかった。どう見ても生きている人間だった。遭遇した時間が昼間なら、まったく不自然な点はなかっただろう。ところがいまは夜の20:00台で、濃霧という最悪の天候である。
先頭のおっさんとすれちがうと、大人数のパーティだったらしく、次から次へと登山者が降りてくる。一寸先は闇の濃霧から、忽然と人間が吐き出されてくる。みんなどこにでもいるなりのおっさんおばさんだった。ただ人数が異常だった。冗談じゃなく無限にいるんではないかと思うほど、行列が途切れることなく霧の向こうから吐き出されてくるのだ。
誰もがまるで昼間の晴天のなかを歩いているみたいに、確かな足取りで歩き、対岸の笠ヶ岳が見えるかのようにニコニコしていた。ほとんどの登山者が脇へ避けている俺に対して「すいません」だの「ありがとう」だの一言かけていく。1人くらいならまだわかる。2~3人でもまあ、穂高くらい有名な山になら無茶をやる人間がいてもおかしくはない。けれどもこの時間、この天候のなか、100人は下らない大パーティで危険な白出沢を下降するというのはもう、完全に狂気の沙汰だ。
俺は「夜間訓練かなにかですか」とは最後まで聞けなかった。なにか見当ちがいの回答をされそうな気がした。
ふと気がつくと、誰ともすれちがっていないことに気づいた。霧の向こうからは誰も歩いてこない。それでも俺はすぐに歩き出せなかった。この霧の向こうに入ると、どこかよその山へ放り出されるような気がした。
20分くらいはじっとしていただろうか。不意に霧が晴れ始めた。晴れるときは本当に一瞬で晴れるものだ。あれだけ悪かった視界がクリアになって、歩くのにはなんの支障もなくなった。俺は気が進まないままゆっくり歩を進めてみた。妙な場所へワープするようなことはもちろんなかった。
やがて目の前に石垣らしき人工物があるのに気づく。見上げるとすぐそこに穂高岳山荘があった。なぜ灯りがついていないのか不思議に思う。また幻覚かもしれない。慎重に近づいていくと、今度こそ本当に山荘だった。時刻を確かめる。21:15。とっくに消灯している時間だったのだ。
ぼろぼろの死に体になりながら、扉を開ける。灯りの落とされた小屋の受けつけは当然閉められており、宿泊の手続きができない。ラウンジにいた若い兄ちゃんたちが駆けつけてくれて、今日はそこらへんのベンチで寝たらいい、金はあとで払えばいいさと教えてくれた。彼らに感謝しつつ、俺はベンチにシュラフを展開し、飯も食べずに横になった。
硬いベンチは当然寝心地は最悪で、これだけ疲れているにもかかわらず、まったく寝られなかった。うとうとすると決まって、霧の向こうから現れた例の団体が脳裏によみがえる。
彼らは無事に下山できたのだろうか。
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