
彼女は、いつも体育館の一番端の楽器の前にいた。
その楽器は“クラリネット”。
しかし、クラスは29人。名簿にもその楽器の持ち主はいない。
担任も生徒たちも、その楽器の存在に触れることはなかった。
それでも、毎日の授業では、クラリネットだけが異様に目立っていた。
「誰かの忘れ物かもね。」
そう笑う先生の声は、どこか不自然に震えていた。
でも、私たちは“知っていた”。
その楽器の前には、確かに“誰か”がいた。
誰も話しかけることはなく、名前も呼ばれたことがない。
しかし、楽器の周囲だけ、冷たい風が吹き、床は常に濡れていた。
音楽室では、クラリネットが独りでに音を奏でることがあった。
黒板には「リナ」と爪で書いたような跡が残っていた。
ある日、クラスの中心的な男子が、その楽器の前にふざけて座った。
「リナさん、おはよう!」
そう言った次の瞬間、彼の椅子が音もなく倒れた。
それから、異変が始まった。
彼の楽譜が消え、見つかったときには、びしょ濡れで破れていた。
ノートには「返して」「返して」と繰り返し書かれていた。
ある日、彼はぽつりと呟いた。
「誰もいないのに……毎日、背後から見られてる気がするんだ。」
そして突然、学校に来なくなった。
その翌日から、楽器の前に楽譜が置かれるようになった。
机の上には、ぐちゃぐちゃに濡れた彼の楽譜が。まるで、戻ってきたように。
次に消えたのは、誰かを笑っていた女子だった。
声が出なくなり、医者でも理由は分からないと言った。
ある生徒は、ある日突然、鏡の前で自分の顔を殴り続けた。
止めに入った先生の前で叫んだ。
「リナが……笑ってたの!!」
最後の学期末。
名簿に、新しい名前が赤いインクで書き加えられていた。
30番 白井リナ
担任はその名前を呼ばない。
でも、机の中には古い型の楽譜があった。今では使われていない、昭和のもの。
その楽譜には、爪で引っ掻いたような血の跡がついていた。
卒業式の日、私たちは集合写真を撮った。
写真を見たとき、誰もが息を呑んだ。
30番の楽器の前には、誰かが立っていたのだ。
顔は見えない。ただ、口元だけが、裂けるように笑っていた。
何人かが写真を焼こうとした。
だが、真ん中に焼け残ったのは、あの“笑顔”だった。
焼けば焼くほど、笑いが深く、濃く、広がっていった。
いじめは、誰かが“消える”ことで終わるものではない。
それは、場所に残る。空気に染みつく。
“記憶”という名のままならぬ亡霊として。
だから、気をつけてほしい。
あなたのクラスの出席番号──
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