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長編

消えた先行者

しもやん 2024年11月23日
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 新雪をいの一番で踏みしめる――。厳冬期登山の魅力はこれに尽きる。確かに白銀一色の景色は美しいし、厳しい気候もスパイスにはなる。だが所詮、そうした事柄は枝葉末節にすぎない。処女雪を独占できるか否か。これが冬期登山の醍醐味を味わう分水嶺になるのだ。  山屋でないまともな一般人には信じがたいだろうが、人気山岳は冬でも多くの登山者が入っており、無数のトレースが雪に穿たれている。わたしはトレース天国の冬山にはいっさい興味が湧かない。先行者の後塵を拝する形で山に登っても、それは真に冬山を攻略したことにはならないからだ。  どうすれば処女雪を独占できるのか? わたしの出した結論は、〈マイナー山岳のバリエーションを開拓する〉というものであった。結論を出したというより、これしか選択肢がなかったといったほうが正しい。  わたしが冬期に好んで入るフィールドのひとつに、伊吹山北尾根がある。伊吹山は百名山として名高く、滋賀県上野ルートは春夏秋冬いつでも大勢の登山者で賑わっているが、わたしが開拓している岐阜県春日村からのアプローチで人に会ったことは一度もない(道がないのだから当然であるが)。冬季はここから伊吹北尾根に詰め上げ、存分にスノーハイクを楽しむのが通例であった。  いかに語るのは昨年の冬、伊吹北尾根での出来事である。      *     *     *  2月の初旬、大雪が降った翌日の晴天というこれ以上望めないであろう好条件のもと、岐阜県春日村初若からアプローチ開始。予定コースは以下の通りである。 岐阜県春日村初若→バリエーション尾根→御座峰→北尾根南下→静馬ヶ原→ドライブウェイ経由→伊吹山本峰→南東尾根ドロップ→春日村古屋付近へ着地→車道歩き→出発点  ルート上で正規の登山道は3割に満たず、バリエーションが大部分を占める本コースでは、人に出会う可能性は限りなく低い。存分にスノーハイクが満喫できるはずだった。  7:40、初若付近から御座峰南東尾根に取りつく。最下部は水量の多い出合になっており、水没しないよう慎重な足さばきが求められた。腐って半壊している丸太橋をおっかなびっくり渡り、顕著な尾根を愚直にトレースしていく。しばらくは藪もうるさくなく、雪も数センチメートル程度であった。  750メートル付近で雪が深くなり、ツボ足での登攀が厳しくなり始めた。背中に担いでいたスノーシューを装着し、本格的なラッセルを開始。雲一つない快晴のなか、雪を踏みしめる感触が心地よい。  額に汗しながらトレースを刻みつけていると、不意に小ピークへ詰め上げた。小ピークには派生した支尾根が合流してくるのだが、驚くべきことに支尾根を辿ってきたと思われるトレースがついていた。すでに先行者がいたのである。  慌てて地形図を確認する。支尾根は春日村川合の県道に沿って流れる長谷川へ出合う、無名の支流付近に没しているようだ。先行者は水没=心停止誘発という非常に困難な真冬の沢を登り、(等高線の詰まり具合からいって)崖に近い取りつきから登ってきたことになる。こんなアプローチはバリエーションの範疇すら超えている。  さらに少し登って800メートル付近の小ピークでも異様な光景が目に飛び込んできた。先ほどとは別のトレースが支尾根から這い上ってきていたのである。それも1本や2本ではなく、無数のトレースが何本も処女雪を抉っていた。スノーシューやワカンを携帯していなかったのか、足跡はすべてツボ足であった。この深さである、雪上歩行器具なしとなると、腰まで潜りながらの泳ぐようなラッセルになったはずだ。  どこかの山岳会が支尾根をそれぞれ選び、単独でアタックをかけているのだろうか? それは考えにくい。山岳会はパーティ行動を原則とし、リスク管理を徹底しているはずだからだ。あるいはたまたま無関係の個人がこの日一堂に会し、バラバラに支尾根を攻略しているのだろうか?  わたしは冬季に春日村から北尾根へ何度も登っているが、いままで猫の子一匹見た記憶がない。この日に限ってなぜ登山者が殺到しているのだろうか? しかも全員図ったように、セオリーでない沢経由の支尾根をツボ足で登っている。  自然と足が止まっていた。眼前の状況に空恐ろしいものを感じる。彼らの行動はあまりにもセオリーから外れすぎている。北尾根の稜線でわたしが登ってくるのを待ち構える登山者たち、といった陳腐な妄想が脳裏をよぎった。  逡巡した挙句、登攀を再開した。伊吹山北尾根のバリエーションを研究し始めて2年弱。道のないルートを藪を漕ぎながら、雪を踏みしめながら開拓してきた。裏伊吹はいわば、わたしにとって聖域に近い。自分だけのフィールドにずかずかと踏み込んできたのがどんな連中なのか、確かめなければならない。  標高1,000メートル付近に達すると、スノーシューをもってしても膝下程度まで潜り始めた。一歩ごとの労力は無雪期の数倍はあり、進軍は顕著に鈍る。こんな深雪のなか、ツボ足ラッセルをこなす登山者とはいったい何者なのだろうか。  正午ごろ、御座峰(1,070メートル)の頂を踏む。稜線に出た瞬間すさまじい強風にあおられ、反射的に対風姿勢をとった。冬季に伊吹北尾根が穏やかな様相であることはまずない。この日も風速は推定15メートル、厳冬期の典型的な環境であった。  くだんのトレースは御座峰山頂を踏んだあと、伊吹山ドライヴウェイ方面へ向かって南進しているようだった。小ピークのたびに増えていったトレースは累計5本あり、それぞれが無手勝流に南を目指していた。こちらもトレースを追って南進する。  冬季ラッセルでは先行者の負担が段違いに大きい。後発は穿たれたトレースを追跡するだけなので、両者の差は原則、徐々に縮まっていく。遠からず先行者に追いつけるはずだ。  983メートルピークを過ぎ、1,149メートルピークを目指す。ピーク間のコルに降りたあたりで、遠くから銃声のようなすさまじい爆音が聞こえてきた。天地を揺るがすような振動が遅れて伝わってくる。落雷でもあったのかと空を見上げると、相変わらずの快晴である。猟期なのでハンターが鹿でも撃ったのだろうと自分を納得させた。そんなことより先行者に追いつかねば。  いつしかわたしは憑りつかれたように足を運んでいた。昼食も食べないままひたすらトレースを追う。なんとしても先行者がどんな連中か確かめたい。水を捨てて機動力を上げる。もう遠めに先行者が見えていてもよい頃合いのはずだ。  13:40、北尾根とドライヴウェイの接続点である静馬ヶ原に到着した。ここでわたしはわが目を疑う光景に出くわす。静馬ヶ原には雪がいっさい積もっていなかった。部分的に融雪が進んだのではない。まるで巨人の拳があたりを薙ぎ払ったかのように、半径5メートル、深さ50センチメートルほどの円形の穴になっていた。一昔前に流行ったミステリーサークルを彷彿とさせる光景であった。  それだけではない。例の5人分のトレースもそこで途絶えていた。ドライヴウェイに這い上がって伊吹山を目指すのでもなく、春日村のさざれ石公園へ降りたわけでもない。トレースはどこにも見当たらなかった。先行者たちが巨人に連れ去られたとでもいうかのように。  わたしは数歩後ずさり、どうにか眼前の光景に合理的な説明をつけようと頭をひねった。直径10メートルにも達する巨大な穴は(やろうと思いさえすれば)人工的に作り出せるが、5人が静馬ヶ原からトレースを残さずに消え失せた点をどう説明するのか?  茫然と立ち尽くしていると、パラパラと顔に土の粒のようなものが当たるのを感じた。顔に手を当てる。やはり土くれのようだ――と思う間もなく、土の塊がすさまじい勢いであたりに降り注いだ。風で巻き上げられた砂つぶてなどという生易しい代物ではない。まさに土が土砂降りのごとく降ってきたのだ。  なにが起きているのか理解が追いつかないうちに、それは数秒で降り止んだ。全身湿った泥まみれになり閉口したけれども、そんなことを気にしている場合ではない。降ってきた土をつぶさに観察してみる。素人目で見た限り、静馬ヶ原に空いた謎の大穴のそれと組成が酷似している。降ってきた代物と周辺の土が同じとなると、考えられる可能性はひとつしかない。 〈巨人の一撃が地面に穴を穿ち、土が空中に跳ね上げられ、時間差で降ってきたのにちょうど行き当たった〉。これが真実であるはずがない。それにトレースをつけていた先行者の5人はどうなったのか。彼らも周辺の土と一緒に空中へすっ飛ばされたのか? 少なくともここでトレースが途絶えていることの説明にはなる。荒唐無稽でありそうもないことを除けば。  不意に、耳の奥に痛みが走った。どろりとした感触が耳を伝う。触ってみると、べっとりと血がついていた。パニック発症寸前の混乱した意識のなか、五感がこう警告しているのがはっきりわかった。 〈この場にいてはいけない〉  わたしは直観に従った。従わざるを得ないような切迫感に支配されていた。ドライヴウェイへよじ登り、できるだけ大穴から離れるよう9合め駐車場のほうへとひたすら逃げ延びた。ドライヴウェイ上も相当の積雪があり、歩みは遅々として進まない。  振り向きもせずに一心不乱にラッセルしていると、直後、またもや耳をつんざく轟音があたりを席巻した。核爆発が起きたかのようであった。おそるおそる振り返る。静馬ヶ原のあたりに、先ほどわたしが出くわした土砂が降り注いでいるところだった。見た限り、土を空中に巻き上げる自然現象――竜巻や突風――は起きていない。  眼前の光景が信じられず、わたしはしばし呆然と立ち尽くしていた。ほどなくして土砂は降り止んだ。目を凝らすと、静馬ヶ原一帯の上空が歪んでいるように見える。遠くに見える雲がそこの区画を挟んで、断層のようにずれているのだ。光の屈折がその周辺だけ通常の物理法則に従っていない。そんな印象を受ける。  いずれにせよ静馬ヶ原を通って下山する気にはとてもなれない。北尾根ピストンを放棄し、伊吹山山頂から南東へ伸びる尾根を経由して春日村古屋へ降りるルートを構築した。逃げるように山頂を目指す。  到着が15:30と遅かったのと、滋賀県上野からのメインルートが通行止めになっている関係で、伊吹山山頂には異例の静けさが漂っていた。森閑と静まり返った山頂で琵琶湖をぼんやりと眺める。冬の弱々しい陽光を反射して、湖面が白熱したように輝いていた。  誘惑に勝てず、わたしは静馬ヶ原のある北尾根方面を振り返ってみた。――なんの変哲もない澄み渡った青空が広がっているばかりであった。      *     *     *  次第に暮れなずむ山中を下りながら、わたしはおぼろげながら静馬ヶ原で起きた怪現象への回答らしきものを得た。  なんであれ、ある現象が存在しないことを証明するのは原理的に不可能である。たとえば白いカラスがいないことを証明するために、黒いカラスを世界中からかき集めてきたとしても、依然として白い個体が発見される可能性は残ってしまう。  対照的に、白いカラスがいることの証明は容易だ。白い個体を1羽だけ見つけてくればよい(それと同時に〈白いカラスがいない〉という仮説は自動的に棄却される)。  物理法則すら不在証明不可能性の例外ではない。重力は質量を中心に働き、例外はないものと考えられている。そう〈考えられている〉だけで普遍的な事実なのかは誰にもわからない。  150億光年という茫漠たる宇宙空間の隅々まで調査がなされ、〈重力が理論通り均一に質量中心へ向かって働いている〉と証明されたわけではないからだ。  わたしが遭遇した怪奇現象はもしかしたら、現代物理理論のほころびだったのではないか? 原則、重力は地球の中心へ向かって働いているけれども、ある一定の条件下でそれが逆転――すなわち斥力として作用することがあるのではないか? 耳からの出血は、重力を感知している三半規管が斥力を受けて機能不全に陥ったからだと強弁できなくもない。  しかし人や建物が空へ向かって落ちていったなどという事例は、(信憑性のないものを除いて)聞いたことがない。これは少なくとも、重力逆転現象が平地ではほぼ起こらないことを意味する。  では山ではどうなのだろう。標高の高い場所ではわずかながら、重力が弱くなるのは紛れもない事実である(相対論的に、質量中心から離れれば離れるほど重力波は赤方偏移する)。そうであるならば、重力のバグが高所で起きたとしても不思議ではない。  昔から山では不可解な神隠しや失踪が後を絶たない。彼らはどこへ消えてしまったのだろう。道を見失って登山道外の山腹で骸と化しているのか、それとも――。  わたしはさらに突飛な考えを抱いてしまう。先行者5人が忽然と消えたのは、空へ落ちていったから「ではない」、という妄念を振り切ることができないのだ。  彼らの行動には理解を超えた点が多すぎる。真冬の沢に分け入り、屹立する断崖を乗り越してバリルートを開拓し、スノーシューなしで突き進んでいく無謀な登山者。わたしには彼らがまともな精神を保っているとはとうてい思えなかった。  5人は重力のバグに偶然巻き込まれた被害者だったのだろうか? そうではなく、みずから望んで例の現象を引き起こしたのではないか。静馬ヶ原に高次の存在――地球外生命体であれ四次元空間の住人であれ――を呼び出すためには、困難な道のりを経てあの場所に到達するという条件があったのかもしれない。先行者たちはそれを実行し、彼らの望み通り、なにかが迎えに来た。  人ならざる者である〈なにか〉が。  例の現象が斥力の作用だったのか、高次の存在の仕業だったのか、あるいは未発見の力学が働いたのか、わたしにはわからない。単に白昼夢を見ていた可能性もある(むしろそうであってほしい)。  しかし、もしあれが現実だったとしたら。先行者たちはチャネラーであり、首尾よく高次の存在とやらとのコンタクトに成功したのだとしたら。山には怪異が棲むという言い伝えが真実味を帯びることになる。  あれ以来、人の来ないうら寂しい山を歩いているとき、わたしは何者かがあたりに潜んでいるような気がするようになった。人ならざる者、人類をはるかに凌ぐ知的生命体の気配を。

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