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長編

山岳遭難体験記

しもやん 2023年11月19日
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 わたしは25歳くらいから、かれこれ15年近く登山を続けている。  それだけやっていれば、命の危険を感じるような修羅場を潜り抜ける破目に陥るものだ。  これはつい最近、晩秋の鈴鹿山脈で実際に体験した出来事である。      *     *     *  このところ仕事が忙しく、毎日終電帰りが続いていた。どうしても早起きが億劫になり、出発は10:30という異例の遅さであった。  まともな登山者なら行程を短縮し、日没前までに降りてくるよう取り計らうのだが、あいにくわたしはまともな登山者ではない。日没したらしたでかまわない、夜間ハイクすればよかろうということで、のんびり出発した。  行程は岐阜県時山集落の烏帽子岳登山口を基点とし、烏帽子岳→三国岳→鞍掛峠手前のピーク→登山道のないバリエーションルートを経由して滋賀県側の林道へ着地→滋賀県側の三国岳登山口→阿蘇谷経由での下山、を考えていた。  バリルートの踏破に想像以上の時間をとられ、滋賀県側の登山口から登り始めたのは15:45であった。16:40ごろ、ようやく標高800メートル付近の稜線に達するも、トラブルが出来する。阿蘇谷の下山ルートがどうしても見つからないのだ。  過去に阿蘇谷は登りも下りも通過しているし、下山の基点には手作りの簡素な指導標があったはずだ。それを目当てにしていたのがいけなかった。次第に闇に包まれ始めた山中で、幅数センチメートル、長さ10センチメートル程度の指導票を見つけようという魂胆にそもそも無理があった。  かすかな記憶を辿りながら、何度も下山口を探して周辺をうろついたものの、どうしてもルートが見つからない。わたしは焦り始めていた。阿蘇谷ルートは通る者とて絶えて久しい、半廃道のような登山道である。日没後の夜間ハイクには慣れているものの、沢筋のルートは渡渉が多いため夜間には道をロストしやすい。過去に沢ルートの夜間ハイクで死ぬような目に何度も遭っている記憶がよみがえり、一刻も早く下山したいという焦燥感だけが募っていく。  わたしは登山用GPSとして〈ジオグラフィカ〉というアプリケーションを使用している。国土地理院が発行している地形図をベースに、現在地をプロットしてくれる非常に有用なツールだ。地形図さえ読めれば事実上、現在地がリアルタイムでわかるのだから遭難はありえない。このときはそう思っていたし、いままでジオグラフィカを使って何度も窮地を脱してきた。  下山口が見つからないのなら、適当に阿蘇谷を下ってしまえという無茶な行程に変更、地図上で登山道が伸びている地点から無理やり下山を始めた。知らない読者のために申し添えておく。絶対に地形図の登山道表記を真に受けてはならない。地形図は航空写真から等高線を起こしているので、等高線表記に間違いがある可能性は皆無なのだが、道の表記は数十年前の実地調査の記録をそのまま踏襲している、というケースが常態化している。  そのため実際は廃道になっていたり、新しく造成された新ルートが伸びていたりと、地図と現場が相違する現象にたびたび遭遇する。このときもそうだったようで、地図上は道の上を歩いているはずなのに、現場は急峻な沢があるだけで道などどこにも見当たらなかった。  それでも等高線と現場の地形は一致しているので、構わずわたしは無理やり下っていった。ところが阿蘇谷の上流はV字に切れ込んだ深い谷になっており、とても下っていけるような様相ではない。〈迷ったとき、沢を下ってはならない〉。登山の格言を遅まきながら思いだし、わたしは疲れ切った身体に鞭を打っていったん稜線まで戻った。戻る際も当然道はなく、崖に近い角度の尾根を死ぬ思いで登りきった。  問題はどうやって下山するか、である。過去にダイラの頭から地図に表記のないバリエーションルートを辿って下山したことがあった。尾根ルートであれば沢のように滝や段差で進退窮まる恐れもない。すでに時刻は17:00をすぎており、あたりは闇に包まれていたものの、一度通った道であればバリルートでも下山できる自信があった。  ダイラの頭を目指して稜線を歩いていく。いつもはヘッドランプを携帯しているのだが、この日は別のザックにしていたのでヘッドランプ未携帯だった。こうなればスマートフォンに頼るしかない。とはいえスマートフォンのライトは光量に乏しく、有効視程は2~3メートル程度。まさに一寸先は闇である。  ダイラの頭に着いたのが17:30。ここで天気予報通り雨が降り始める。それも天が割れたかのようなすさまじい土砂降りであった。雨具はあったのだが、どうせすぐ止むだろうと高をくくって着ないまま下山開始(この楽観がのちの窮地へとつながる)。ダイラの頭からのバリルートは尾根があちこちに褶曲する山上の迷路のようなルートで、分岐点を間違えれば復帰不能の谷底へ降りてしまう。わたしはスマートフォンを片手に持ちながら、GPSに完全に依存する形で歩き始めた。  これは簡単に思えるかもしれないが、現場はもともと登山道のないバリルートだ。道はうっすら踏み跡がある程度の頼りない代物で、折りからの土砂降りのせいで霧が発生、ライトは乱反射してほとんど使いものにならない。有効視程は1メートル強にまで下がり、ほとんど真の闇のなかを手さぐりで歩いているような状態に陥っていた。  おまけに晩秋とあって尾根には落ち葉が堆積しているし、雨で非常に滑りやすくなってもいた。わたしは何度も足を取られて転び、背中や肘を強打しながら這う這うの体で歩いた。闇のなか尾根を正確にトレースするのは難しい。スマートフォンで確認するたび、尾根芯を逸れて歩いていることに気づき、慌てて軌道修正する。標高は遅々として下がらない。  自画自賛になるけれども、並みの登山者であればとっくにパニックを起こして半狂乱になって走り回り、名もなき谷へ落ちて命を落としていたと思われる。わたしは無神論者なので、暗闇を怖いとは思わない。これが死との分水嶺になったのだろう。常に冷静さを失わず、木に巻いてあるペナントを見つけるたび、「よし」と声に出して確認し、正解ルートを歩いていることを意識した。  ダイラの頭ルートは尾根が鋭く屈曲するポイントが何か所かある。事前に地形図で分岐点を確認していたのでそれはわかっていたのだが、いざ現場に着くとドロップポイントがなかなか見つからない。陽のあるうちならペナントを頼りに下っていけるが、いかんせんこの闇と雨ではそうもいかない。レインコートを着ていなかったのも災いしていたと思う。体温の急激な低下により、判断力が顕著に鈍っていたのだ。  尾根のドロップポイントを絶望的な気分で探していると、派手な色のレインコートをまとった登山者が降りていくのを確かに目撃した。〈なんだ、あっちに降りていけばいいのか〉。素直にそう思った。いま考えると背筋が凍るのだが、晩秋の日没後の登山道で、しかもバリルートで人に会う確率は限りなく低い。にもかかわらず、わたしは登山者の後を追っていった。  10分ほど歩いたところではたと気づいた。〈わたしはさっきから「よし」と口に出していない〉。これは木に巻いてあるペナントを見ていないことを意味する。ダイラの頭ルートはバリルートではあるものの、ペナントは数メートル、長くても20メートル以内に1つは必ず巻いてあったはずだ。10分ものあいだペナントを見ていないのなら、ここは不正解ルートなのだ。このまま下っていけば誰も歩いたことのない人跡未踏の沢に出て、進退窮まってしまう。  しかしさっき登山者がこっちを選んで降りていったではないか? わたしの思考能力は寝起き直後程度にまで減退していた。彼が何者であるにせよ、この尾根は支尾根である。尾根芯に復帰せねばならない。でももう10分も下ってしまった。登り返すのにはもっと時間がかかる。すでに歩き始めて8時間以上経っている。空腹もつらいし足腰も痛い。もう1メートルだって登りたくない。  思考は混乱し、絶え間なく降りつづける雨音が体温と正気をぐんぐん奪っていく。  なにより目前には例の派手なレインコートを着た登山者がいた。彼はわたしを待っているかのように数メートル先にたたずんでいる。有効視程が1メートル強しか得られない闇と霧のなか、はっきりと存在を感知できるというのはどう考えてもおかしい。しかしこうした窮地に先駆者がいることほど心強いものはない。  彼はついてこいとでも言うかのように、しきりに手を振って合図を送ってくる。フラフラと足が勝手に動き始める。彼についていけばこの迷宮から脱出できる。温泉に入ってラーメンを腹いっぱい食べられる。ほとんど下山した気になっていた。  わたしは喝を入れるため、無意味な大声を出した。ここでようやく正気を取り戻せた。登山者は消えていた。やはり自分の脳が造り出した幻覚だったのだ。スマートフォンを確認すると、案の定間違った尾根にいることがわかった。ロスは痛いが登り返すしかない。  無心になって分岐点へ復帰していると、雨に紛れて後ろから声が聞こえてきた。 「おーい、こっちだぞ」  わたしは振り返らなかった。 「そっちじゃない、こっちから下山できるぞ」  声はすぐ後ろから聞こえてくる。〈振り返れば死ぬ〉。直感的にそう思った。次振り返って派手なレインコートを目撃したが最後、わたしはおそらく正気を失って彼についていってしまう。  声はしつこかったが、尾根の分岐点に着いたところでぱったりと止んだ。わたしは何度も深呼吸をくり返し、素数を暗誦し、地形を読んで根気よくドロップポイントを探り、ここだと思う地点にライトを向けた。  ペナントが巻いてあるのをどんぴしゃりで発見した。命を拾った瞬間であった。  用心に用心を重ねた結果、下山完了は20:10だった。わたしの乏しい登山経験のなかでも、ベスト3に入る臨死体験となった。      *     *     *  わたしは尾根の分岐点で出会った登山者が幽霊だとは思わない。  おそらく脳が造り出した幻覚だったのだろう。登山経験者ならわかると思うが、疲れ切った下山の最終行程で登りをこなすのがいかに大変かは論じるまでもなかろう。脳が疲労を警告するサインとして、彼は誕生したのだ。〈お前はいまとてつもなく疲れている、登るな、下れ〉。  山岳遭難は例年コンスタントに発生している。わたしが足しげく通う鈴鹿山脈でも毎年多くの道迷い遭難が起きている。もし彼らがわたしと同じ体験をしていたら? 間違ったルートへいざなうように、先駆者がいると錯覚しているのだとしたら?  しばしば遭難者の遺体は想定ルートからかけ離れた地点で発見されることがある。わたしはいつも首をひねっていたものだ。  いまならわかる。彼らは派手なレインコートを着た登山者に導かれるまま、ついていったのだ。  あの世へと続く道へ、そうとは知らないまま。

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