山には道標というものがある。
 それには〈白船峠〉や〈御池岳〉などの地名が表記されており、山なり峠なりがどの道の先にあるのかを指し示してくれる。登山地図は現場の道標にリンクするかたちで描かれていることが多く、そういう意味でも登山者にとってはマスト・アイテムに近い非常に頼れる存在といえるだろう。
 とはいえ道標にもピンからキリまでランクがあるのもまた確かである。登山道を整備しているふもとの観光協会が作ったものは力が入っていて情報も正確であるが、もの好きな個人が自分用に作ったようなものは指し示している方角も怪しく、情報も信憑性があるとは言いがたい。
 登山は最終的におのれの力量が問われるというのはこういう意味なのだ。ペナントや道標に頼り切っていると思わぬ道迷いをしでかすおそれがある。たとえそれらが善意で作られたのだとしても。

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 これは数年前、わたしが鈴鹿山脈のバリエーションルートである深部に分け入り始めたころの話である。
 鈴鹿山脈とは三重県と滋賀県の県境に位置する、1,000メートル前後の山々で構成された山脈だ。標高は低いけれども南北に長く、主脈以外に何本も支脈が並走するなかなか懐の深い山岳地帯である。
 鈴鹿中部、すなわち朝明渓谷~宮妻峡までのエリアはことに人気で、毎年大勢の登山者が関西圏から訪れる。このあたりは道も道標もペナントも完備されていて、誰でも気軽に山歩きが楽しめるのだが、そんな中部でも主脈を乗り越えて西へ少し進めばそれだけで、訪れる者とてない鈴鹿深部と呼ばれる人跡未踏のフィールドに辿りつく。
 鈴鹿深部で頼りになるのは手作りの道標と、木々に巻かれた色鮮やかなペナントのみ。あとは自分で地形を読み、現在地をつねに把握し続けていなければならない。整備されたエリアのようにがむしゃらに歩いていれば、遠からず道迷いに陥って遭難の憂き目に遭う。玄人筋が好むフィールドとして一部のマニアのあいだで歩かれている。それが鈴鹿深部である。

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 その日わたしは朝寝坊をやらかし、登山基地の朝明渓谷に着いたのは午前10時すぎであった。晩秋は陽が落ちるのも早く、この時間から歩いていては確実に日没してしまうけれども、ものぐさな性格のわたしはいつも夜間ハイクでお茶を濁していた。今日もそうなりそうだと諦観しつつも、10:15に発ち、中峠へ詰め上げたのが11

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