は日中戦争に参加していたのだ。

     *     *     *

 日中戦争は昭和初期、占領地の権益保護を名目に始まった。
 当時中国北東を占める満州は日本が投資して近代国家に仕立て上げた虎の子であった。認証はほとんど得られていなかったものの、満州はれっきとした国家であり、五族協和をうたう人種の入り混じった国際都市でもあった。日本は満州を足がかりとし、北からモンゴルを通って侵略してくるロシア軍をけん制していたのである。

 1930年代当時の中国は定まった支配者がおらず、覇権を目指して小規模武装勢力(=軍閥)が跋扈する混乱状態にあった。各地で血で血を洗う内戦がくり返され、それらは一向に終わるようすを見せなかった。軍閥のなかでも有望だったのが、蒋介石(しょうかいせき)率いる国民党政府、毛沢東(もうたくとう)率いる共産党政府、そして汪兆銘(おうちょうめい)率いる南京政府の3者であった。

 中国は列強諸国に租借(一部の土地を外国に事実上支配されること)されており、そのなかでもアメリカ、ロシア、日本が租借地に自国の権益を集中させていた。中国が終わりなき戦乱にさらされていれば、自国の租借地に戦火がおよぶ。そうした懸念からアメリカは蒋介石を、ロシアは毛沢東を、日本は汪兆銘を裏で支援することとなった。日中戦争は表向き日本が中国を侵略した戦争だと解されているけれども、事実はそうではなく、現地の有力軍閥が上記3国の代理戦争を行っていたといえる。

 日本は租借地や満州を防備するため軍隊を派遣していたが、日中戦争の泥沼にはまる前まで彼らはなんらかのいざこざを起こしたという記録はいっさいない。軍隊はあくまで市民を軍閥紛争から守る警備隊であり、侵略の意図はなかったようだ。もともと満州警備隊の関東軍を預かっていた石原莞爾大佐や首相の近衛文麿も、広大な中国大陸に侵略戦争を仕掛ければ早晩兵站(=現場の兵士を維持する食料や装備の補給基地)の問題が出来し、消耗戦になるのは必定と見ていた。中国とことを構えるのは得策ではない。それが日本の総意であった。

 戦争の火付け役はもちろん共産党政府である。共産党政府は国民党政府と南京政府を倒し、中国制覇をもくろんでいた。しかし共産党の軍事力は両者に比べて乏しく、地方の村にゲリラ兵を潜入させて不意を打つ一撃離脱戦法をとるのが関の山であった。まずは国民党と南京政府を戦わせ、消耗した勝者をロシアとともに

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コメント(3)

レベル高いけど、分かりやすかった。高レベル投稿を期待します。

史実に絡んだ怖い話、ちょっとレベルが高いですね。日記の空白期間、何が起こっていたのか気にはなります。もあ30年以上前に他界した私の祖父も満州や華南などの戦地に赴いていて、その当時の話を子供ながらに興味深く聞いたものですが、当時の自分に歴史的な知識と見識がもっとあればいろいろ聞けたのにな、と今更ながら残念に思っています。

このお話、はっきり言って怖いのか何なのか わからないんですが。解説が多いです。 もっと分かりやすく書いてくださいね。

本宮晃樹さんの投稿

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