わたしの祖父はアル中だった。

 その息子であるわたしの父親は、郵便物ひとつ出すのに徒歩で1日もかかるような寒村に見切りをつけ10代で家を出ていた。そのため祖父母とは盆暮れ正月に会う程度であったが、幼少のころのわたしが覚えている祖父の姿は、ワンカップの日本酒を片手に万年こたつでうつらうつらとまどろんでいるという見栄えの悪いしろものだった。

 祖父は粗野で気が短く、酒が切れるとしょっちゅう祖母を殴った。我慢の限界に達した祖母が何度か、わたしたちの家にまで避難してきたことがあったほどだ。
 1~2日ほどは頑固一徹を通して二度と帰ってくるなと息巻く彼も、男やもめの一人暮らしは荷が重すぎたのだろう、一週間も経つと「戻ってきてくれ」と電話で泣きついてくる。アル中なうえに自堕落で、始末に負えない男だった。

 そんな彼に協調性を求められる会社勤めが性に合うはずもなかった。こんなエピソードがある。彼がとある土木会社に内定し(戦後の復興期は五体満足でさえあれば、どんな人間でもとりあえず採用されたのである)、記念すべき出社初日。いくら待っても現場に祖父は現れない。監督たちが貧乏ゆすりをしながらいらいらしていると、焦点の合っていない祖父が千鳥足でやってきた。1時間以上の大遅刻であったらしい。
 監督が遅刻したうえに朝っぱらから酒を呑んで出社するとはどういうつもりだと問い詰めると、祖父は居直って傲然と胸を張る。酒を呑んでなにが悪い、きてやったんだからありがたく思え。呆れた監督がその場で馘首を言い渡すと、彼も負けていない。ああ辞めてやるよ! 呂律の回らない口調でそう叫び、例の千鳥足で退場したのだという。

 彼は結局自営業者として炭焼き小屋を作り、そこで細々と燃料用の黒炭を製造していたらしい。自由の利く自営業とあれば当然飲酒が常態となり、作業効率は低迷、ろくな稼ぎもなかったそうだ。それでも祖父母たちはそれなりの一戸建てに住んでいて、貧困線を割るような生活はしていなかった。つねに彼の片手には日本酒のワンカップとセブンスターが握られていたし、自給自足用の米を栽培する耕運機も持っていた。
 また晩年に祖父がアルツハイマーに侵されて入院した折りも、わたしたち家族は一銭も支払っていなかった。彼は結局、酒には殺されなかった。死因は肝硬変や肺がんではなく、身体機能の全般的な低下、要するに老衰だった。
 祖父母の生活を支えていたのは恩給である。祖父

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本宮晃樹さんの投稿

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