した樹林帯へ消えていった。俺は時間を忘れて彼らに魅入っていた。幽霊なんかでは絶対になかった。あれはまぎれもなく実体を持った人間だった。ただ彼らの素性の説明がつかないだけで。

 十分以上もその場に釘づけにされていただろうか。連中が戻ってこないことを確認すると、俺はがむしゃらに沢を下り始めた。道に迷ったときは尾根を登るのが鉄則とされているけれども、尾根のほうにいくと彼らと遭遇する可能性がある。沢を下ればやがて本流に出られるので、これは次善の策として有効だ(とはいえ途中に滝があると立ち往生するので、おすすめはできない)。

 やがて広大な河原に出た。地図によればこのあたりまで林道が通っているはずなのだが、林道はどこにも見当たらない。まちがった沢に降りてきてしまったのか。ここまできてしまった以上、戻る気力も体力も残っていない。方角を進行方向である東にとり、ひたすら河原を歩き通す。

 途中に何度も水没しつつ、19:30ごろ、ついに林道らしきものを発見した。あとで調べてわかったのだが、林道は記録的な土石流によって河原の下に埋まってしまっていたらしい。俺は奇跡的に正しい沢に降りてきていたのだ。ここまでくればもう安心である。青川峡キャンピングパークのにぎわいを見て――人びとが交わす日本語に安堵して――車道を歩き、孫太尾根の入り口である墓地に帰還。20:15、実に11時間以上にもわたる山行だった。

 登山道具をリアハッチに放り込み、運転席に座ってエンジンをかける。ライトに照らされた孫太尾根登山口が、不気味に浮かび上がっていた。

     *     *     *

 鈴鹿山脈の滋賀県側斜面には、昭和中期くらいまで林業で生計を立てていた山岳の村が多数点在していた。今畑集落、茨川村、御池鉱山跡地、保月集落など、いまでも家屋の残っている廃村もある。いまではそのすべてが廃村になってしまっているが、このような土台は山岳の漂泊民である〈サンカ〉たちにとって、たいへん住みよい環境だったのではないか。

 それほど標高を下げることなく村に住む人間と物々交換ができる環境ならば、〈サンカ〉が遅くまで――少なくとも上記の村々が廃村になった昭和中期くらいまでは――残っていたとしてもおかしくはない。

 俺が遭遇した〈彼ら〉とはもしかしたら、山に魅入られて文明から取り残された現代の〈サンカ〉だったのかもしれない。

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コメント(1)

サンカかぁ。 実話だとしても、怖くは無いけど不思議な話ってとこかな。 確かにあの一帯はそんな雰囲気があると思う。 典型的な辺境の雰囲気があった90年代ぐらい迄なら、ニホンオオカミが捕まっても驚かなかったかもしれない。 河内風穴とか、人跡未踏のストラクチャも存在するし、鈴鹿嶺西一体は都会から一時間で行ける本格的秘境ってとこでしょうか。 でも近頃は鈴鹿の峰越も、ただの山地になってしまいました。 酷険道フリークの間では有名だった石榑峠も、トンネル化した結果、峠越しは封鎖され、トンネル経由の新道はおばちゃんの軽やらノロマなトラックやら普通にゆききしてます。 とはいえ、実地を良く知る身としては、情景がリアルに想像出来て面白かったです。

本宮晃樹さんの投稿

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