俺は登山をする。歩くときは10時間くらい山中にこもってたりもする。

 日本は国土の7割が山岳地域であり、ただでさえ狭い日本列島を圧迫している。利用できる平地は限られており、巨大な工場はもっぱら海外に建設するのがトレンドだ。そうした事情もあり、古くから山は身近な存在であり、米が不作の際に農民は狩猟や採集で食料を調達することもあった。

 そうした生活を徹底して実践していたのが〈サンカ〉である。〈サンカ〉は定住地を持たない流浪の漂泊民で、山岳地域限定のジプシーのようなものだ。戸籍には登録されておらず、狩猟採集で食料を調達し、食物の不足する冬季には手工業で作った竹細工などの小物を近隣の村々と物々交換したりしていたらしい。

 そんな彼らも終戦と同時に徐々に文明世界へと帰化していき、いまでは完全に消滅したとされている。

     *     *     *

 3年ほど前の早春、俺は例によって山に入っていた。
 山域は鈴鹿山脈。南北に滋賀県と三重県を貫く1,000メートル級の低山が40キロほども続いている。とくに中部はいくつもの支脈が走り、峠を越えて長大なコースを作ることもできる。標高の割には歩きごたえのあるエリアだ。

 その日は誤算が連続した。孫太尾根から主稜線に取りつき、藤原岳をハント、西尾根を経由して茶屋川に降り立ったまではよかった。ところが茶屋川の遡行はたいへんな難路であり、途中にぶち当たった滝の迂回は文字通り命を賭けさせられた。さらにようよう地図記載の尾根に取りつくも、踏み跡も皆無の完全な廃道と化しており、精神力は削られるいっぽうだった。

 それでもどうにか土倉岳をハントし、茨川廃村へ降りてこられた。ここからも不運は続く。伊勢谷ルートを見つけられずに適当な尾根を登ってしまい、これが道迷いを深刻化させる結果になった。命からがら迷い尾根に辿り着いたときにはすでに17:30、あたりは暗くなり始めていた。この時点で俺はもう、一歩も歩けないほど疲れ切っていた。

 疲労困憊しているとき、糖の不足によって判断力は鈍る。じきに日没するのだから、このときは多少登りがあってさらなる苦労を強いられるとしても、往路を戻るのがベストであるはずだった。ところが俺はこれ以上登りをこなす気にどうしてもなれず、孫太尾根ピストンを避け、楽な青川峡への下山へ逃げることにした。これが決定打になった。

 治田峠に到着し、さてあとは峠を下る

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本宮晃樹さんの投稿

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