主人は、マサコの肉体に溺れていた。
マサコはこの屋敷に仕える女中だ。
時代は終戦から数年後のことで、世の中はまだ戦争の傷跡を残したままであった。
主人の妻であるケイコは、今日は婦人会の会合で外出している。
主人とマサコが事を終えた直後、妻のケイコが会合から帰宅した。
マサコは慌てて着物を着て、帯を締めると何事もなかったかのようにケイコを迎えた。
『奥様お帰りなさいませ…。お夜食の準備をいたします』
『ただいま。子どもたちはどこ?夜食の前にお紅茶よ』
『はい…。お子様たちと旦那様はもうお休みになられました。お紅茶をすぐにお持ちいたします。』
マサコは、主人との関係をケイコに悟られないように声のトーンを抑えて答えた。
マサコは台所へ行きケイコのために紅茶を用意している。
紅茶を注ぎながらマサコの中の何かが目覚めた。
『あの女さえいなければ…』
人一倍大人しかったマサコがそんな言葉を口にしていた。
『お紅茶でございます。』
マサコはケイコに紅茶を出した。
ケイコは銀食器のカップで紅茶を飲みながら左の薬指に輝くルビーの指輪を見つめてため息をついた。
『あぁ、素敵』
右手で紅茶をすするその銀食器は夫が戦前、パリに行ったときに買ってきてくれたものだ。
ルビーの指輪は、夫がベルリンを訪問した際にある老舗の宝石店で目に止まり、買ってきてくれたものだ。
ケイコはこのルビーの指輪をことのほか大切にしていた。
来客がある度にこの指輪をはめて見せびらかすのだ。すると必ず来客は素敵な指輪だと褒めちぎる。
これ以上の快感はない。
『この幸せを渡すものか…。サチ!』
ケイコは女中のサチを呼んだ。
『奥様お呼びでしょうか。』
『最近、マサコの様子が変なの。探っておくれ。』
ケイコはサチにそう言うと、札束をチラつかせて付け加えた。
『いい情報が得られたら、あんたにはこの札束と女中頭の地位を与えるわ』
サチは二つ返事で引き受けた。
ケイコは、自室に戻ると鏡を見つめながらつぶやいた。
『私はまだ若い。あの女さえいなければ…』
ケイコは、年はすでに三十路の坂を超えており、若くはない。
年のせいか、毎日のアルコールと煙草の影響か、顔には深いシワが刻まれていた。
い
この怖い話はどうでしたか?
コメント