供されたものの、男の足取りは掴めなかった。その手口や、遺体発見現場の近さなどから、池上千鶴子さん殺しの犯人と同一人物ではないかと見られた。
【3人の遺体発見】
1989年1月27日、佐賀県北方町志久の大峠付近の山林で、花をつんでいた主婦が崖下に投げ落とされていた女性の遺体を発見する。警察が急行すると、遺体の横に別の腐乱死体、さらに近くにも白骨死体があった。
現場の状況や、死亡時期の異なる3つの遺体に、佐賀県警は連続殺人の死体遺棄事件と断定。現場には持ち主不明の下着4枚とブラジャーなどが散乱していたが、新たな遺留品はゴミの不法投棄とまざって発見されなかった。
最初に発見された遺体は2日前の25日に行方不明となっていた北方町の紳士服縫製工場勤務・吉野タツ代さん(37歳)のものだった。白のスカートにカーディガンという失踪当時の服装のままで発見された。
吉野さんは失踪当日午後7時前に勤務先から帰宅。長男と実母と一緒に夕食をとっていたが、7時20分ごろ、電話がかかってきて吉野さんはあわてた様子で出かけていった。このとき実母には「友人を山内町まで送ってくる」と言っているが、長男にはなぜか「友達と食事に行ってくる」と話していた。吉野さんは赤い軽乗用車で出かけていったが、この車はのちに武雄市内のボウリング場駐車場で発見されている。
なお、吉野さんの勤め先である縫製会社は、81年10月に殺害された池上さんの職場と同じである。
吉野さんの隣りでうつ伏せの状態で発見された遺体は同じ北方町の主婦・中島清美さん(50歳)と判明。
中島さんは88年12月7日午後7時20分頃、「バレーボールに行く」と自宅を出たきり行方不明となっていた。中島さん宅とバレーボールクラブの練習場所であるスポーツセンターは徒歩10分ほどの距離で、いつもは仲間と2人で出かけていたが、この日は仲間が休むため1人でセンターに向かっていた。
午後7時30分頃に、中島さんと思われる女性が、自転車に乗った女性としばらく立ち話をしているところを目撃されている。相手の女性は30~40歳ぐらいだったが、この女性の身元を割り出すことはできなかった。
最後までわからなかった白骨死体は、87年7月8日に行方不明となっていた武雄市の料理店仲居・藤瀬澄子さん(48歳)と判明。
藤瀬さんは温泉街の老舗割烹で、病弱な夫に代わって働いていた。失踪当日の夜、仕事が終って
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コメント(2)
Uさんが途中からAに変わったり、久美ちゃんが麻美ちゃんになったり、難解すぎる文章。 書いた人の知性を疑うレベル
!
なんか聞いたことあると思って調べたら本当にあった事件だったのが怖かった。
サブロス