九州大学生体解剖事件とは?

九州大学生体解剖事件は1945年に九州帝国大学(現九州大学)の医学部で、アメリカ軍捕虜に対する生体解剖実験が行われた事件。
ただし、九州帝国大学が組織として関わったものではない。相川事件ともいわれる。

この事件では撃墜されたB-29に搭乗していた8名に対して人体実験が行われ、

海水を血管に注入した代用血液の実験」
結核の治療法の実験」
臓器の停止や切除を行った際の生存に関する実験」
どの程度の失血により死亡するかの実験
が行われたとされている。

事件の経緯

太平洋戦争末期の1945年5月、福岡市を始めとする九州方面を爆撃するために飛来したB-29が、熊本県・大分県境で19歳の学徒兵が操縦する戦闘機の空中特攻によって撃墜された。

機長のマービン・S・ワトキンス(Marvin S. Watkins)中尉以下、搭乗員12名が阿蘇山中に落下傘降下した。

3名は現地で死亡。生き残ったのは9名であったが、東京からの暗号命令で「東京の捕虜収容所は満員で、情報価値のある機長だけ東京に送れ。後は各軍司令部で処理しろ」とする命令により、機長のみが東京へ移送された。

残り8名の捕虜の処遇に困った西部軍司令部は裁判をせずに8名を死刑とすることにした。

このことを知った九州帝国大学卒で病院詰見習士官の小森卓軍医は、石山福二郎主任外科部長(教授)と共に、8名を生体解剖に供することを軍に提案した。

これを軍が認めたため、8名は九州帝国大学へ引き渡された。

8名の捕虜は収容先が病院であったため健康診断を受けられると思い、「サンキュー」と言って医師に感謝したという。

生体解剖は1945年5月17日から6月2日にかけて行われた。

指揮および執刀は石山教授が行ったが、軍から監視要員が派遣されており、医学生として解剖の補助を行った東野利夫は、実験対象者について「名古屋で無差別爆撃を繰り返し銃殺刑になる」との説明を受け、手術室の入り口には2名の歩哨が立っていたという。

その後GHQがこの事件について詳しく調査し、最終的に九州大学関係者14人、西部軍関係者11人が逮捕された。

なお、企画者の一人とされた石山教授は「手術は実験的な手術ではないのでその質問には答えられません、私が行った手術のすべては捕虜の命を救う為だったと理解していただきたい」と生体解剖については否認し続け、独房で遺書を書き記し自殺した

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コメント(1)

遠藤周作の、海と毒薬を読めば生体実験の描写が生々しいです

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