物を生成する。
じゃがいもの芽がよい例である。人類用に改造された作物ですらいまだに毒性を除去しきれていないことに留意してほしい。
虫食いだらけの野菜はよいものだとされている。けれども捕食者を寄せつけないよう毒を産生しているであろう有機野菜が、適度な量の農薬で育てられた慣行作物や遺伝子組み換え作物よりも本当に安全かどうかは、定かではない。
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一般的な俗説とは対照的に、農薬や遺伝子組み換えが危険であるどころかほとんど無害であることがわかった。
もしそうならば、われわれは無意味な規制を敷いているのではないだろうか。
日本では遺伝子組み換え作物の輸入が厳重に規制されている。許されている作物でも表示義務がある。
環境問題に過敏なヨーロッパも似たような厳しい規制を敷いている。
遺伝子組み換え作物の主要な産生国はアメリカであるが、有力な輸出先である先進国が軒並み規制を敷いてしまえば当然、商品価値は下がる。面積に比して生産力の劣る従来農法に切り替える農家も出てくるだろう。いきつく先は食料の減産である。
飽食の時代を迎えて久しい先進国はそれでも問題ないかもしれない。多少野菜の値段が上がるだけで、国民はまた物価が上がったと文句を垂れているだけですむ(それはまぎれもなく自分たちのせいなのだが)。
では後進国はどうなるのか。安く大量に生産できる野菜が届かなくなり、ただでさえ慢性的な飢餓がはびこっているアフリカやアジア諸国はさらなる窮地に立たされる。
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確かに後進国はもっと出生率を下げるべきだ。養い切れる以上の子どもを産むべきではない。
とはいえ生殖は生物の根源的な欲求である。それは原則、人びとの選択に任されるべき領域である。
彼らももう少し裕福になって教育サービスがいきわたれば、k戦略のなんたるかを理解するだろう。
だからといって生まれてきた子どもに罪はない。親が無節操だから子どもは飢えて死んでもよいということにはならない。彼らのなかに将来のアインシュタインやハイゼンベルクがいないと誰に断言できるだろうか。
食料はこれからもっと必要になる。十分に安く、大量に供給するためにはどうしても二度めの〈緑の革命〉が必要なのだ。
それは技術的に十分確立されている。にもかかわらず、世界には飢餓がはびこっている。
われわれはR・カ