対応が問題となった「栃木・リンチ殺人」、同じく容疑者をみすみす自殺させてしまった「京都・日野小児童殺害事件」があり、警察は厳しい批判の矢面に立たされることとなった。

 2000年11月、「ストーカー行為等の規制に関する法律」が施行される。桶川事件がきっかけとなった法律で、国会で成立したのはS子さんの誕生日である同年5月18日のことだった。この法律により、男女間の問題として片付けられがちだった嫌がらせ行為が、処罰されるようになった。施行半年で、66人が逮捕、453人が警告された。そのうち9割が、元夫婦や恋人など「面識者」だった。


【裁判】

 逮捕された武史は中傷ビラ300枚をバラまき、父親の勤務先に誹謗文書800通送付したことを自供。しかし、殺人については関与を否定した。

 2000年10月、S子さんの両親、小松武史らを相手取り、慰謝料など1億1,000万円を求める損害賠償請求。

 同年12月、S子さんの両親、「なぜ娘が殺されなくてはならなかったのか」と、県を相手取り、国家賠償訴訟を起した。

 浦和地裁での公判中、「浦和地裁刑事部の裁判官(当時47歳)が居眠りしている」と傍聴人から訴えがあった。この裁判官は毎回のように眠っていたという。01年3月5日、浦和地裁はこの判事を公判担当から外し、民事部に配置換えした。(ちなみにこの判事は、宇都宮地裁の裁判官をしていた2008年に山梨県内に住む裁判所女性職員へのストーカー規制法違反容疑で逮捕されている)

 2001年7月17日、浦和地裁、「自己保身のために他人の生命すらかえりみない犯行で、動機に酌量すべき余地もない」と久保田に懲役18年、見張り役の伊藤に同15年を言い渡した。

 同年10月26日、実行犯5人に計490万円の賠償命令。

 2002年3月29日、小松武史は控訴を取り下げ、刑が確定。

 同年6月27日、運転手役だった川上に懲役15年の判決。

 2003年2月26日、国家賠償訴訟で、さいたま地裁は県に550万円の賠償命令をした。双方とも判決を不服として控訴。

 12月25日、さいたま地裁、小松武史に無期懲役判決。

 2005年1月26日、国家賠償訴訟の控訴審で、双方の控訴を棄却。遺族やその支援者を落胆させる結果となった。

 12月20日、東京高裁・安広文夫裁判長は「動機ははなはだ理不尽で、酌量の余地はみじんもない。自らは手を下すことなく

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