2011年3月11日の午後14時46分、東北に忘れられない東日本大震災が起こりました。当時、宮城に住んでいた同じ職場の同期のAから、今年聞いた話です。被災された方がこれを読まれたらあの日の事を思い出させてしまうかも知れませんが読んでくださると光栄です。


地震が来た時、Aは家族と遅い昼飯を取っていて、揺れが落ち着いた数分間の合間に家を飛び出してしばらく外にいましたが、津波が来るという町内放送が流れた為、高台に避難したそうです。津波から走って逃げる人々、津波に流されていく建物や車、見慣れた大好きな街が壊されていくという、信じられない光景が目に写ったそうです。


そして、避難所の近くからAが卒業した中学の卒業アルバムが泥にまみれた状態で出て来ました。その卒業アルバムが誰のものか分かりませんが、拾って見ていると、当時の同級生たちが懐かしく感じました。この震災で亡くなってる人もいるのではと思ったそうです。


震災から2ヶ月が経ってもAの高校の友達だったBが見つかりませんでした。主に友達しか閲覧していない感じの、Bの更新していた小さなブログは前日の3月10日で止まっていました。どこかで避難して生きてくれているだろう、携帯が使えない環境にいるだけだと思っていたのです。Aは避難所で生活をしていましたが、朝になると避難所を抜け、Bを探す為に壊れた街を毎日歩いていました。


結局Bは見つからず、震災から4年が経った頃、Aは就職活動の時期に入り、東京のとある企業に就職が決まりました。1人暮らしも考えたのですが、あの震災で家族を失うのは嫌な為、家族ぐるみでマンションに住む事に決めました。就職先の仕事にも慣れてきた頃、車の免許を取り、休みの日に家の近くを車で走っていました。季節ごとに変わっていく街並みや立ち並ぶお店を見ながら走るのが楽しかったそうです。


青信号で止まった交差点の人の中で見覚えのある顔を見つけました。宮城の震災で探しても見つからなかったBでした。東京で生きていてくれたのか。安心したAは嬉しさから車の窓を開けてBに声を掛けました。
「Bじゃないか!お前、生きてたのか!」「A!久しぶりだな、俺はあの震災後に東京に来てたんだよ!」


街中で車を停めて話すのもなぁ、という事になり、Bを後部座席に乗せて自分の家に向かいました。高校の時の思い出話など、たわいもない会話を楽しみました。「A、チョコレート食べるか?」「おぅ、

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