10年ほど前、仕事で3ヶ月間中国に滞在していました。
工場の管理業務で、250人の中国人従業員に対して日本人は私一人。社員寮で生活していました。寮の食堂には数日で飽きてしまい、工場付近にいくつかある酒場で食事をとるようになりました。
ある夜、とある酒場で飲んでいると見たことのない男が片言の日本語で話しかけてきました。60代くらいの小さな男性で、どこにでもいそうな普通のおじさんといった風貌です。うちの工場の工員ではないようでした。
「私は昔日本に住んでいました。日本人は見ただけでわかります。日本人は親切だから好きです。」
男はヨウと名乗りました。

ヨウさんはしょっちゅう同じ酒場にいるようで、私を見るたびに話しかけてきては日本の話を聞きたがりました。日本語がわかる人間は工場にも数人しかいなかったこともあり、すぐに仲良くなりました。

中国に滞在して3ヶ月。日本に帰る間際になってヨウさんとの別れを寂しく感じました。そして、ヨウさんの連絡先を聞こうと酒場に向かいました。日本に帰ってお礼の品を送りたいと思ったのです。
ヨウさんはいつものように酒場にいました。連絡先を聞いたのですがなぜか教えてくれませんでした。その代わり、小さく折りたたんだ紙と黒っぽくて軽い塊を渡されました。よく見ると木彫りの小さな仏像でした。
「ここに書かれた住所の家の庭に、この仏像を埋めてください。日本人のあなたにしか頼めないんです。」
黄色く変色した紙には鉛筆で日本の住所が書かれていました。
同じ日本でも住んでいるところからかなり遠かったため断ろうとしたのですが、あまりに熱心に頼むため仏像を受け取りました。そして、私は帰国しました。

ヨウさんには大変申し訳なかったのですが、飛行機でないといけない場所に仕事を抱えながら行くのは難しく、10年経っても約束を果たせていませんでした。
つい最近そのことを思い出して、ふとその住所の場所に何があるのか気になって調べてみました。
ヨウさんの言う通りただの一軒家だったのですが、30年ほど前に強盗殺人が起こった家でした。犯人は捕まっていないそうです。
ヨウさんは日本で何をしていたのでしょう。なぜ中国に帰ってきたのでしょう。
考えてみると彼の事を何一つ知らないことに気がつきました。今となっては顔もよく思い出せません。
ヨウさんという名前も本当かどうか。

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