これは僕の祖母から聞いた話です。
戦後間もない頃に、日本は経済的に苦しくしかも、殆どの家庭が大家族だったそうです。子供は野菜小屋?で生み、おんぶに背負ってそして農作業をしながらせいかつしてたそうです。
でもまだ防空壕など残っており夜な夜な悲鳴の音が聞こえたり聞こえなかったりしたそうです。それも、家族皆んな聞こえていたとか……
そして叔母が3の時に、ある体験をしたそうです。僕はこんな時の事も覚えているんだなと思いました。それほど怖くてもう忘れられないような事だったのでしょう。
祖母はある日の朝家族の誰よりも早く起きて皆を起こしたそうです。でも誰も返事をしかったため、1人で遊んでいたそうです
流石に朝日が見えてきたそうです。
住んでいた家の方から父親の声が聞こえたそうです。家に向かうと、部屋のあちこちに手形があったり、酷いところでは、鶏が撃ち殺されたような跡がありました。
ですが父親は、この様なことで止めてはいけないと皆にいったそうです。子供は部屋の掃除やご飯の支度などをして、大変な日だったそうです。
しかし6人家族なのに自分を含め、3人しかいなかったそうです。父親と母親は農作業をしていたそうなので4人のはずです。
1人は?兄妹(叔母は一番末っ子)皆が次男の、総二郎を探したそうです。次男の声はあの、防空壕のなかから聞こえたそうです。ですが3人は躊躇い(ためらい)長男を防空壕に、叔母と長女のキヨで母親を呼び、防空壕へ向かうと、無数の血で地面が真っ赤になっていたそうです。
祖母と祖母の母親とキヨさんは悲鳴をあげ、その悲鳴を聞きつけた父親が来ました。父親はすぐに悟ったようで、防空壕のドアをぶち破るようにし、中へと入って行きました。すると、中には無数の兵隊と悪臭がしたそうです。