どういうわけか住む人すべてが、事故死をしたり、ケガをしたり、次々に不幸な目にあう、という家がある。

時には周囲の忠告を無視して、勇気のある人が住んでみたりするのだが、案の定恐ろしい目にあって逃げ出したりしてしまう。
そのため、年月がたつうちにだんだん人が寄り付かなくなり、とうとう空家になってしまう、というわけだ。
こういう例はなにも家だけではない。
見通しがいいにもかかわらず、交通事故が頻繁に起こる交差点や、浅瀬で波が穏やかなのに、どういうわけか毎年大勢の溺死者を出す海岸、というのもある。
こういう場所や現象を、その昔、山陰地方では「たたりもっけがいる」と言って恐れたという。

棚橋健彦さん(仮名当時二十一歳・大学生)が、子供の頃に時々泊まりに行った親戚の下宿屋が、まさに「たたりもっけのいる」家だった。

当時から十年程前である。
棚橋さんの父方の伯母さんが、都の西はずれにある大学の近くに、賄い付の下宿屋を営んでいた。

「今ではアパートやマンションになっちゃって、こういう形式の下宿もほとんど無いでしょうが、当時はまだ残っていたんです」
その家は大きな一軒家で、伯母さんの父親、棚橋さんのお祖父さんが建てた家だった。
かつては伯母さん夫婦といとこたちが住んでいたのだが、伯母さんの夫が高齢のために亡くなり、いとこたちも独立して家を出たため、手を入れて下宿に改造し、近くの大学に通う学生たちに貸していたのである。
「その頃僕はまだ小学生だったんだけど、夏休みとか冬休みとか長期の休みになると、必ず泊まりに行ってたんですよ。」
伯母さんとうちの親父とは母子程年が離れていたから、伯母にとって僕は孫みたいな感じだったんでしょうね。
ベタベタに可愛がられて、完全に伯母さんっ子だったんですよ。
それにその家に行くと、たまにですけど、休みに帰省せずに残っている学生がいたりして、なにかと相手をして遊んでくれましたからね」

二階建ての大きな家だった。

食堂を除いた一階部分を伯母さんがプライベートで使い、二階にある六つの部屋を貸し部屋にあてていた。
「実は二階の六つの貸し部屋のうち、北東の角の一部屋が、いわくつきの部屋だったんです。やっぱりそこだけ空いていることが多かったですね」
いくら空いているからといっても、伯母さんはその部屋を、たとえば物置に使う、など私用に使っている様子もなかった。
棚橋さんはただ、入っちゃダメ、とだけ言われて

通常版で読む