昭和54(1979)年5月 京都/長岡京
2014.8 宇治市マラソン主婦行方不明事件追加

 昭和54(1979)年5月23日、長岡天神駅前のスーパー「イズミヤ」のパート仲間で、
長岡京市に住んでいた水野恵子さん(当時32歳)と明石英子さん(当時43歳)はスーパーの仕事を終え、
そのまま自転車で午前10時、同市奥海印寺の通称「野山」
(美竹台住宅地の裏山河陽が丘内の竹林)へワラビ採りに出掛けた。
野山は近所の人が山菜やタケノコ狩りをピクニックがてら家族で楽しむような場所で遭難などの危険はない。
しかし何度もワラビ採りに出かけていたはずの明石さん、
3時半には子供を保育所に迎えに行く予定だった水野さんは戻ることなく消息をたった。
 心配した家族の通報を受けた向日町署が野山を捜索したところ、
25日午前10時半ごろ、山頂近くで2人の遺体が発見された。
水野さんは左胸を包丁で刺され、明石さんは首を絞められて死んでいた。
現金や腕時計など2人の所持品は奪われていなかった。持ち歩いていたリュックの中には、
所持金、空の弁当、ワラビの束がそのまま入っていたことと、
検死の結果から、二人は昼食の弁当を食べた正午過ぎから午後2時半の間に殺害されたと考えられた。
明石さんの履いていたジーパンの右ポケットから、
「オワレている たすけて下さい この男の人わるい人」

と裏に鉛筆で走り書きされた、勤め先のスーパー「イズミヤ」のしわくちゃのレシートが見つかった。
 警察は現場の山道の表層土砂を全部ふるいにかけ、
メモを書いたのに使用されたと思われる鉛筆の芯(先の部分)を、
遺体から約17メートル離れた土砂の中から発見しているが、鉛筆自体は見つからなかった。
 2人の遺体にはそれぞれ数十カ所殴られた跡があることから、
犯人は空手などの武術の心得がある者ではないかと思われた。
警察庁科学警察研究所の鑑定の結果、犯人の血液型が1つだけ検出され、O型と判明。
だが、白昼に主婦2人を一度に襲い、多数の殴打の跡があることなどから複数犯の可能性もある。
 遺留品は凶器の包丁だけ。包丁から指紋は検出されなかった。
包丁は岐阜県関市で作られた約7万本の中の1本とみられているが、販売ルートは解明されなかった。
 犯行当日は山菜取りシーズンだったこともあり、15・6人が野山に入山しており車両も5・6台駐車していた。
また付近には宅地造

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