『鬼猫』に続き2作目

《本当にあった怖い実体験》

『千日前』
大阪在住の方はご存じの通り、関西最大級のいわくつきの土地である。


観光客で賑わう、道頓堀の南東のこの土地には法善寺と竹林寺がもともとあり、千日念仏を唱えていたことから両寺の別名(特に法善寺)を千日寺といい、その前で栄えた街だからということでこの名になったといわれる。

年月のたった現在では、知る日とぞ知る歴史。
ちなみに、江戸初期には近郊農村であった西成郡難波村と西高津村の一部であり、1615年、市内の墓地の整理により「千日墓地」と呼ばれる大規模な墓地がつくられ、刑場・焼き場も併設された。
区画整理された『大坂七墓』といわれる七ヶ所の墓地の一つ。

これが後にさまざまな噂話や因縁話の原因にされることとなる。

明治以降、刑場は廃止され墓地が阿倍野に移転して繁華街が広がって行くことになるが、当初は墓地跡・刑場跡(晒し台・磔台・獄門台)ということでなかなか買い手がなかった。

1912年(明治45年)1月16日に発生した「ミナミの大火」によって、難波新地から千日前、高津新地、生國魂神社あたりまでが焼失し、この地にあった遊郭は移転して消滅した。 
 
1958年に御堂筋の大阪新歌舞伎座に移転し、歌舞伎座の建物は改装され「千日前デパート」となるが、1972年(昭和47年)に死者118名にのぼる戦後史上最悪の千日前デパート火災が発生した。
その死者の数と、これまで処刑された人数が同じという都市伝説もあるくらい。
ビルの7階から飛び降りるホステスの映像が茶の間に流れたのも記憶に新しい。

その後長らく焼け跡は放置され利用されなかったが、ダイエー系のデパート「プランタンなんば」が建ち、カテプリなんばと改称したのを経て、現在はビッ○カメラなんば店となっている。

未だに元従業員やアルバイト、近隣のタクシー運転手等から数々の恐怖体験がネットで出回っているほど。
現在では、風水に気を付け、エスカレーターの動きを霊が上がったり降りてきたりしないように工夫されているらしい。

私は、『鬼猫』の小4から時を経て、二十歳で大阪の会社に就職し、鹿児島の田舎暮らしから、大阪ミナミのど真中で独り暮らしを始めた。
仕事に慣れ初めてきた頃のある日、以前から欲しかったノートパソコンを買いに、七時に仕事を終えて、その足で家の近くのビッ○カメラに向かった。
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